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日記

「室蘭工業大学テクノカフェ」〜北海道開拓と坂本龍馬 紀伊國屋書店札幌本店にて

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新聞で下記の「室蘭工業大学テクノカフェ」が「紀伊国屋書店札幌本店」で行われることについて知りました。第1部は「ものづくり体験教室」、第2部は「ものづくりトーク」でしたので、第2部から聴講し学ばせて頂きました。

「室蘭工業大学テクノカフェ」〜北海道開拓と坂本龍馬の歴史的価値

 

○日時:2024年12月21日(土)10:00〜13:30

○会場:紀伊國屋書店札幌本店1階インナーガーデン

○ 内容:第1部 ものづくり体験教室 10:00〜11:00 定員20名

第2部ものづくりトーク 12:00〜13:30 定員45名

 

話し手 北海道坂本龍馬記念館 館長 林 洋二氏  聞き手 室蘭工業大学学長補佐 教授 清水 一道氏

 

主催:室蘭工業大学・北海道新聞社

 

○ 司会者から

ものづくりをテーマとして各界で活躍する方のお話を聞く、「室蘭工業大学テクノカフェ」です。今回は『北海道坂本龍馬記念館 「館長 林 洋二氏」』をお迎えし、北海道における坂本龍馬の歴史的価値の観点を中心にトークセッションを開催致します。

○内容について

大変良い内容でしたが、予めレジメなど資料の配布はなかったのでお話されたことをメモにとりながら聴きました。内容を十分に書き取れなかったことをご了承下さい。

我が国は、古来、温度変化によって金属を溶かしてから型に入れ冷しながら整形していく技術はあった。奈良時代になると鉄を溶かせるようになった。江戸時代末期ペリーの黒船来航以来、日米和親条約が結ばれ鎖国から開国へと劇的に変化していく。ヨーロッパではスペインとポルトガルを中心とした大航海時代を迎えていた最中。産業革命後50年、・・・、戦争では大砲が使われ戦争に使用される武器は鉄によって変化していった。我が国はその頃「安政の大獄」で長州と薩摩が活躍していた。(司会者が鹿児島出身の方でした。)佐賀藩が使用していた大砲はアメリカ製ではなかったのかと言われている。誰が持ってきたのか。それは坂本龍馬ではなかったのかと・・・。薩摩藩の島津斉彬は蒸気船を造っていたし、ブラジル・アメリカ・フランス・ドイツ・スペインから客が訪ねている。この事柄は、大河ドラマ「龍馬伝」で知った。

さて、なぜ、「坂本龍馬」が北海道を目指していたのか。高知出身で127年前から、坂本家は北海道に本家がある。龍馬とお龍さん夫妻には子供がいなかったので甥っ子が坂本家を継いだ。龍馬は、11月18日生まれで、11月18日に亡くなっている。明治2年5月18日、戦争は終わっていた。坂本家の坂本直行さんは明治30年北見に入ってきて、31年浦臼に移る。坂本龍馬の遺品は北海道にあり釧路の大火で一部が燃えてしまったが、93年前に国に寄贈し京都の国立博物館にある。坂本家のお墓は函館、5・6・7・8代のお墓は札幌の円山墓地。浦臼に龍馬のお墓がある。直行の息子、のぼるは来年88歳になる、その息子まさひろ60歳、その息子・・・と、坂本家は北海道で続いている。明治に龍馬家を継いだ坂本直みつさんは、政治家にはならなかった。現在、北見には高知出身の人が多く、苫小牧の勇払原野にも高知県出身の人が多い。北海道では夏になると「よさこいソーラン」で賑わうが高知との繋がりがある。

実際に海外に行っていなかった龍馬の世界観は、お姉さんの家に当時は珍しい地球儀がありそれを眺めながら思いは日本以外の世界へ広がっていた。師匠として川口省吾や勝海舟から学んでいた。北海道と薩摩藩の島義勇、西郷隆盛はどこか縁がある。龍馬は33歳で暗殺されず生きていたら、その後の日本は変わっていただろうと思われる。

 

坂本龍馬の写真から

坂本龍馬のというとお馴染みの、革靴を履き右手には懐に拳銃、腰には尊敬していた楠木正成造りの短刀、そして小さく写っているが右の腰にホイッスル・・・、という写真が残っている。この写真のバックは、北海道では珍しい函館の武家屋敷と今は観光地となっている五稜郭公園。

 

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