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日記

『「北海道とオランダの縁(えにし)」講演会 札幌時計台ビルにて』から、さらに旅の魅力をかき立てられました

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そろそろ本格的な旅を始めようかと考えていたところ、新聞で『「北海道とオランダの縁」講演会(主催:ワールド航空サービス札幌支店)』を目にしました。今すぐ本州旅行や海外旅行とまではいかないものの、これからの参考にしていこうと講演会に参加してみました。「札幌時計台」の真横「札幌時計台ビル」で行われました。

「北海道とオランダの縁」札幌時計台ビル6階にて

5月30日(火)14:00〜15:30 「ワールド航空サービス札幌支店」主催

 

檜山管内江差町の『「開陽丸」記念館』学芸員の方がオンラインにて講演

*講演会内容をメモに取りそれを本文にしましたので、要を得ない文章になってしまいました。

「江差町」と「オランダ」の「ドルトレヒト市」との縁(ゆかり)

幕末、1863年に15人の若者がそれぞれ専門分野を学ぶためオランダに派遣され、ドルトレヒト市で開陽丸が造船されている現場に赴いた。赤松大三郎、上田寅吉(造船技術を学ぶ)、吉川宗八、山下岩吉など。開陽丸は3年がかりで造られていた。現地で「開陽丸」は「ヘポールリヒター」(夜明け前』と名付けられ造船された。けれども、航海に出ることはなく、江差沖で座礁沈没した「開陽丸」。

「江差町」学芸員小峰さんのお話によると

「江差町」の冬は日本海から吹き込んでくる風の影響で雪が飛ばされ積雪は少ない。「江差 えさし」とは「岬が突き出ている」とか「多くの昆布がある」というアイヌ語。一方で「不吉な砦」という意味もある。

江戸時代から明治時代にかけて「江差」と「オランダ」のつながり

当時、北前船が立ち寄る港として、「江差港」は脚光を浴びていた。旧幕府軍の軍艦「開陽丸」は、戊辰戦争(箱館戦争)に向かう最中、江差沖で座礁沈没してしまいその任務を果たすことはできなかった。「開陽丸」はオランダ製である。ペリー率いる黒船来航以来、開港にするにあたり海軍防備が必要になった。鎖国当時唯一外交のあったオランダに軍艦を製造発注した。後に箱館戦争に加わる榎本武揚を含む15人の留学生がオランダでその様子、造船所で製造される過程を見学している。

江差の歴史と祭り

幕末、江差から本州へ北前船でニシン漁とヒバ(ヒノキ・アスナロ)の移出をしていた。現在、歴史的文化が色濃く残っている江差は、当時「江差の5月は江戸にもない。」と言われていたほど賑わっていた。その頃の5月とは旧暦で、現在の6月にあたる。

江差追分

元々は長野県の馬子唄が伝わり変化して今の状態になった。近江商人の餅つき囃子

江差姥神(うばがみ)大神宮渡御祭

今でも江差町民にとって中心的存在で三日間行う。

オランダ・ドルトレヒト市

大航海時代に栄えた都市。あの有名な画家「フェルメール」を生んでいる。

*山陰地方の旅行で立ち寄った「足立美術館」には、「フェルメール」の作品が数多く展示されていました。「北海道立近代美術館」でも「フェルメール展」が開催されたことがあったように記憶しています。コロナ禍が一段落してきましたので、そろそろ旅行を再開してみたいのですが一気に海外旅行とまではいきません。せめて近場の日帰り旅行からと考えています。自然豊かな北海道は魅力溢れる地ですが、石狩地方に住んでいると特に歴史的な渡島や檜山地方、江差、函館にも憧れます。

ワールド航空サービス 札幌支店主催 講演会:「北海道とオランダの縁」より

 

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