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日記

『人新世の「資本論」』斎藤幸平著 集英社新書を読んで

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何気なく聞いていたジオから、「今、評判の本です。」と言う会話が流れました。耳新しい本なので早速書店に出かけ、内容を調べるいとまもなく表紙だけみて購入してしまいました。帰宅し早速「はじめに」や「目次」に目を通したところ、「しまった。」という気持ちでいっぱいになりました。

とにかく難しいのです。専門用語、難解な語句がずらりと。内容を理解できるはずはないと思いながらも、ただかみしめながら読んでみることにしました。「マルクスエンゲルス資本論」には、共産主義、崩壊したソビエト社会主義連邦というとイメージしかありません。では、今なぜ「資本論」なのでしょうか。

斎藤幸平:1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程終了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。(邦訳『大洪水の前に』)によって、権威ある「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞。編著に『未来への大分岐』など。

「人新世(ひとしんせい)」とは

人類が引き起こしてきた自然破壊、人類が地球の環境を大きく変えた時代をすでに「人新世」と名付けられているそうです。他のいい方をすると、人類の活動の痕跡が地球の表面を覆い尽くした年代。ビル、工場、道路などが地表を埋め尽くし海洋にはマイクロ・プラスチックが大量に浮遊し、人工物が地球を変えてしまった。人類の活動によって大気中の二酸化炭素が飛躍的に増えている。

「SDGs(持続可能な開発目標)」と、最近至るところで目にしたり耳にします。身近なところでは温暖化対策としてレジ袋を有料化し削減、マイバックの持参。プラスチック類を減らす等。

それだけでは気候変動は止められず、「人新世」の環境危機によってわかってきたことは、経済成長そのものが人類の繁栄の基盤を切り崩しているという現実があります。

気候危機の原因そのものが資本主義であり、産業革命以降直後に考え抜いた思想家カール・マルクスが共産主義を美化・継承しているのではないのです。資本と社会と自然の絡み合いを分析することでマルクスの思想の新しい面の「発掘」であり、気候危機の時代によりよい社会を作り出すという想像力をかき立てる期待を込めて、と著者は語っています。

第一章 

資本主義は負荷を外部に転嫁することで経済成長を続けていきます。

2100年までの平均気温の上昇を産業革命前の気温と比較して1.5℃未満に押さえ込むためには、今すぐ行動を起こす必要があります。2030年までに二酸化炭素排出量をほぼ半減させ、2050年までに純排出量をゼロにしなければなりません。現在の排出ペースを続けると2100年には4℃以上の気温の上昇が起こることが危惧されているからです。

日本では毎夏、各地に傷痕を残す台風は巨大化し、2018年の西日本豪雨規模の豪雨が毎年おきるようになりその確率は高まっています。日本は二酸化炭素排出量が世界で五番目に多く、気候変動は日本にも大きな責任があります。排出量上位5カ国、中国・アメリカ・インド・日本で世界全体の60%近くの二酸化炭素を排出しているのです。

グローバル・サウス(グローバル化によって被害を受ける領域ならびにその住民)は資本主義の歴史を振り返ると、先進国の豊かな生活の裏側で様々な悲劇が繰り返されてきました。資本主義の矛盾がここにあります。自動車の鉄、ガソリン、洋服の綿花、牛丼の牛肉にしかり、「遠い」ところから日本に届きます。グローバル・サウスからの労働力の搾取と自然資源の収奪なしに私たちの豊かな生活はなし得ないのです。

第二章

経済成長しながら、二酸化炭素排出量を十分な速さで減らすのは不可能です。

再生可能エネルギーや電気自動車を普及させるための大型財政出動や公共投資を行うグリーン・ニューディールは、安定した高賃金の雇用をつくり有効需要を増やし景気刺激を目指します。好景気が更なる投資を生み持続可能な緑色の経済への移行を加速させるものです。成長を貧欲に追求していけば、やがて地球の限界を超えてしまいます。

経済が成長しても環境負荷が大きくならない方法はないのか。気候変動について言えば、経済成長を維持しながら二酸化炭素排出量を減らすこと。しかし、二酸化炭素の絶対量を減らさない限り気温上昇に歯止めをかけることはできません。

経済成長を諦め、経済規模を縮小していくなら、二酸化炭素排出量を減らす目標達成は容易になります。資本主義は、コストカットし労働生産性を上げようとすると経済規模が同じなら失業者が生まれるという限界が起きてしまいます。

第三章

自由に良く生きるための「潜在能力」を実現可能する物質的条件、社会的な土台が欠如していると、人間は本来持っている能力を十分に開花できない限り「公正」な社会は実現できません。これが今、途上国の人々の状態であり、現在のシステムは環境をひどく破壊し不公正です。

経済成長しなくても既存のリユースを上手く分配できれば、今以上に繁栄できる可能性があるので、公正な資源配分が資本主義システムのもとで達成できるのかどうか真剣に考える必要があります。ただし、地球は一つで世界はつながっており一国内だけの問題ではないのです。世界全体が「持続可能で公正な社会」へ移行しなければ最終的に地球は住めない環境になり、先進国の繁栄さえ脅かされてしまいます。

気候変動問題への関心が低い日本では、脱成長が「団塊の世代」、「失われた30年」と結びつけられています。日本では、世界の新しい脱成長論の内容は全く紹介されていません。困難な経済成長・経済格差の拡大・環境問題の深刻化、それが「人新世」の時代なのです。

カール・マルクスと脱成長を統合する必要性があります。マルクス主義は階級闘争ばかり扱って環境問題を扱えないのではないかと言う疑問は次章で。

第四章

気候危機の時代に必要なのはコミュニズムです。

なぜいまさら、マルクスなのか。世間一般にマルクス主義というと、ソ連や中国の共産党による一党独裁とあらゆる生産手段の国有化というイメージが強すぎます。時代遅れで危険。それでは「人新世」の新しいマルクス像とは。

マルクスにとって「コミュニズム」とはソ連のように一党独裁と国営化体制を指すのではなく、生産者たちが生産手段を<コモン>として管理する社会を構想していました。「コミュニズム」は無限の価値増殖を求めて地球を荒廃させる資本を打破し、地球全体を<コモン>としてみんなで管理しようということ。

マルクスは将来社会を描く際に、「共産主義」や「社会主義」という表現を殆ど使わず、労働者達の自発的な相互扶助「アソシエーション」が<コモン>を実現するとしました。21世紀に入ってから国家が担っているような社会保障サービスは元々人々がアソシエーションを通して作りあげてきた<コモン>なのです。

近年、MEGAと呼ばれる新しい『マルクス・エンゲルス全集』(最終的に100巻)発行について世界各国の研究者が参加する国際的プロジェクトで進んでいます。現在日本語で手に入る『マルクス・エンゲルス全集』(大月書店)は本当の意味での「全集」ではなく正しくは「著作集」です。収録されていない『資本論』の草稿やマルクスの書いた新聞記事、手紙などが膨大にあります。

それらと新資料を含めて、マルクスとエンゲルスが書き残した全てを網羅したMEGAを目指しています。MEGAによる一般の解釈とは異なる新しい『資本論』が、現代の気候危機に立ち向かうための新しい武器になり得るかもしれません。

マルクスが自らの最終的な認識を『資本論』で十分に展開できず、第二巻と第三巻は未完で終わりました。現在読まれているのは朋友エンゲルスがマルクス没後に遺稿を編集して出版したものです。そのためマルクスとエンゲルスの見解の違いがあります。特に晩年にマルクスが考えていたことに「人新世」の環境危機を乗り越えるための思索を学ぶことができるのです。

マルクスの思想を大きく歪めスターリン主義を生み出し人類を環境危機に直面させる原因にもなりました。この誤解を解くために。

第五章

「生産力至上主義がマルクス主義の神髄である」という誤解の産物「加速主義」ではなく、脱成長コミュニズムの姿についてイメージしていくと。

加速主義は世界の貧困を救うためにさらなる成長を求め、化石燃料などを他のエネルギー源で代替えすることを目指します。その結果、より深刻な地球破壊を招くことになってしまうのです。科学的に見て無理筋で変革に向けたプロセスにも問題があります。

第六章

資本主義は、技術発展と物質的に豊かな社会をもたらしたかのようだが、現実は99%の私たちにとって欠乏をもたらしているのが資本主義ではないのか。私的な所有物ではなく共有物だったはずの土地、そして無償のエネルギー源だった水。

(以下、世界的に活躍する科学者とその学説が網羅されています。)

第七章

「人新世」の危機の事例の一つとして「100年に一度」のパンデミックと言われている新型コロナウィルスがあげられます。多くの人命が失われ経済的・社会的なな打撃は歴史に残る規模です。気候変動がもたらす世界規模の被害は、気候変動に苦しむ後世の人々にとってはコロナ禍は一過性でささやかだったとなるかもしれないのです。

気候変動もコロナ禍も「人新世」の矛盾が表れたもので、経済成長を優先した地球規模での開発と破壊が原因、すなわち資本主義の産物です。

中略

労働は人間と自然との媒介活動であり、人間と自然は労働でつながっています。労働のあり方を変えることこそが自然環境を救うためには決定的に重要なことです。実際、旧来の脱成長派は、消費の次元での「自発的抑制」、節水・節電、肉食を止め、中古品を買い、物をシェアするといった所有や再分配、価値観の変化に注目し労働の在り方変えようとしないなら資本主義には立ち向かえません。

問題の巨大さのせいで悲観的思考に陥ってしまいます。一人では何も変えられないし、かといって政治家、官僚、ビジネスエリートたち等、政治のレベルでは何かを変えるような希望を見いだすことは難しい。しかし、ここで諦めてしまうと待っているのは「野蛮状態」。

中略

無限に利潤を追求し続ける資本主義では、自然の循環速度に合わせた不可能なので、「加速主義」ではなく減速主義、脱成長コミュニズムです。

○使用価値経済への転換

売れ行きの良い物を中心に生産が行われると、本当に必要な物は軽視されます。例えば、パンデミック発生時に社会を守るために不可欠な人工呼吸器やマスク、消毒液の十分な生産体制が存在しませんでした。コストカット目当てに海外に工場を移転し、先進国であるはずの日本がマスクさえ十分に作ることができなかったのです。「使用価値」を犠牲にした結果です。

気候危機の時代には、食料、水、電力、住居、交通機関への普遍的アクセスの保障、洪水や高潮への対策、生態系の保護等、危機への適応に必要な物こそが優先されるべきです。

○労働時間の短縮

資本主義のもとでのオートメーション化は「労働からの解放」ではなく「ロボットの脅威」や「失業の脅威」になり過労死するほど必死に働きこれこそ資本主義の不合理さの表れです。それに対してコミュニズムは労働時間の短縮でストレスを減らし、子育てや子育てや介護する家庭にとっても役割分担を容易にすることができます。

○画一的な分業の配信

労働を「魅力的」にすることで中身を変えて、ストレスを減らし人間らしい生活を取り戻すことが不可欠です。マルクスは創造性や自己実現の契機になることを目指していました。

○生産過程の民主化

生産手段の民主的管理、つまり、生産をする際にどのような技術を開発し、どのような使い方をするかを開かれた形での民主的な話し合いによって決めようとするものです。コミュニズムは、労働者や地球に優しい新たな「開放的技術」を<コモン>として発展させることを目指します。

○エッセンシャル・ワークの重視

晩年のマルクスは生産力至上主義と決別し、自然的制約を受け入れるようになりました。近年もてはやされているオートメーション化やAI化には限界が存在します。例えば、コミュニケーションが重視されるケア労働は「感情労働」と言われています。

社会福祉士等では単にマニュアルに則して介助を行うばかりではありません。日々の悩みの相談にのり信頼関係を構築しながら、体調や心の状態から柔軟に対処する必要があります。保育士や教師も同様。ところが、機械化の困難さで生産性が低く高コストだとみなされ、無理な効率化が求められたり理不尽な改革やコストカット断行されています。

「使用価値」を殆ど生み出さないような労働が高給なため人が集まり、社会の再生産にとって必須な「エッセンシャル・ワーク(「使用価値」が高いものを生み出す労働)」が低賃金で恒常的な人手不足という矛盾が起きています。ケア労働は低炭素で低資源使用。

一部の「ケア階級」の叛逆が一時的な抗議活動で終わらず自治管理を目指す実践へと繋がっていく可能性を秘めています。世界的な流れとして、エッセンシャル・ワーカー達は抵抗のため立ち上がりつつあります。気候危機をきっかけとして、ヨーロッパ中心主義を改めグローバル・サウスから学ぼうとする新しい動きが出てきています。

第八章

○自然回帰ではなく新しい合理性を

晩期マルクスの主張は、都市の生活や技術を捨て農耕共同体社会的に戻ろうとするものでも、その暮らしを理想化するのでもありません。都市化が行き過ぎてしまい大量のエネルギーと資源を浪費する生活になってしまい、二酸化炭素排出量の七割を占めているのです。新しい都市の合理性を生み出している例として、スペイン・バルセロナの試みがあります。

中略

人権、気候、ジェンダー、そして資本主義すべての問題はつながっています。バルセロナのやり方こそ経済成長という生産力至上主義を捨て、「使用価値」を重視する社会のビジョンが生まれてきます。

○経済、政治、環境の三位一体の刷新を

専門家や政治家達のトップダウン型の統治形態に陥らないようにするために、市民参画の主体性を育み市民の意見が国家に反映されるプロセスを制度化する必要があります。<コモン>の領域を広げることで、民主主義を議会の外へ、生産の次元へと広げて行くのです。その例として協同組合、社会的所有や「<市民>営化」があげられます。

○持続可能で公正な社会への飛躍

新自由主義によって、相互扶助や信頼が解体された後にいる私たちは、地方自治体をベースに信頼関係を回復して行くしかありません。コミュニティや社会運動が動けば、政治家も大きな変化に向けて動いて行かざるを得なくなります。「政治主義」とは全く異なる民主主義の可能性、着地点は相互扶助と自治に基づいた脱成長コミュニズムです。

おわりに

晩年のマルクスの到達点が脱成長コミュニズムであり、それこそが「人新世」の危機を乗り越えるための最善の道。SDGsもグリーン・ニューディールもジオエンジニアリングも気候変動を止めることはできないのです。

資本主義とそれを牛耳る1%の超富裕層に立ち向かうので、エコバッグやマイボトルといった次元の噺ではなく困難です。「3.5%」という数字があり、「3.5%」の人々が非暴力的な方法で本気で立ち上がると社会が大きく変わるという学説があります。

ワーカーズ・コープ、学校ストライキ、有機農業、地方自治体の議員を目指す、仲間と市民電力を始める等、まずアクションを起こすこと。まず3.5%が動き出すと、それが大きなうねりとなり、資本の力は制限され、民主主義は刷新され、脱炭素社会が可能となります。

未来に向けた一筋の光を探り当てるために、資本について徹底的に分析した「人新世の資本論」。

*世界的に活躍されている大勢の科学者とその学説・諸説が網羅されています。その内容などについては、本書でお確かめ頂くと幸いです。頭の柔らかい若い人達には是非読んで頂きたい一冊です。

 

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