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日記

『「日本人と花見」白幡洋三郎 ラジオ深夜便(明日へのことば)』NHKラジオ第一より

投稿日:2021年3月15日 更新日:

本州では広島や福岡の開花宣言に始まり、続々と桜が開花しています。お花見のシーズンを迎えますが、コロナ禍では今年も桜の花の下で思うように楽しむことはできないようです。日本人特有の「お花見」は身分の高い者の中では平安時代に、本格的な一般町人の「花見」として広まったのは江戸時代になってからだそうです。

ラジオ深夜便 2021.3.13午前4時代より 明日へのことばアンコール「日本人と花見」白幡洋三郎

白幡 洋三郎:京都大学卒 造園学者、中部大学人文学部特任教授、国際日本文化研究センター名誉教授 書籍『花見と桜』日本的なるも

「享保の改革」と8代将軍吉宗

「花見」は8代将軍「吉宗」が武士や貴族にかかわらず所謂町人に広めていったそうです。「享保の改革」で質素・倹約を掲げ幕府の財政の立て直しに取り組んだあの8代将軍「吉宗」です。

「花見」が庶民(町民や農民)にもたらした経済効果と文化の発展

江戸時代、5代将軍「綱吉」の「生類憐れみの令」で鷹狩りが制限されるようになりました。鷹狩りで荒らした田や畑を潤すが如く、農村地帯に桜の木を植えることで都市部江戸に住む人々が「花見」のシーズンになると訪れます。茶店で休憩し農村地帯へ小銭を落とす経済効果で活性化されることを見込んでいました。

都市部の人々は着飾って「花見」に出かけます。華やかに着飾る為には着物を新調します。新しいファッションを求め江戸では衣類・染め・織り業者が栄えます。更に、料理の発展、賑わいを絵画に表す、小説にする、和歌や川柳に表す、歌舞伎で演じる等の日本文化が生まれ、その発展にも貢献しました。

平安時代の頃から「花見」は日本人の特性

身分の上・中・下を問わず、1000年以上前の平安時代から春になると行われてきた「花見」は日本人の特性です。「貴賤くんじゅ(きせんくんじゅ)」?田の神様が降臨して咲かせてくれたのが桜。田の神様を田へ導き、みんなの豊作を願いました。

「桜」は北半球の温帯に生息しますが、多くの人が集まって屋外で飲食する「花見」は日本人にとって特有です。宴会は集いの文化で、職場では平社員・上司こぞって楽しむ一種の文化なのです。全員の豊かさを願う表れで、背景には誰でもみんな一緒に集まることができるためには丁度良い行事でそれを受け止めてくれるのが「花見」なのです。

共感の場、確認の場、他者を考える場、行動を共感することで思いを繋ぐ自然体としての場

老人も若者も一緒に集う、これはこれからも続いていく先人達が創ってくれた日本の文化なのです。考え方の違い立場の違いを超えて一緒に時を過ごすことが自然にできる財産です。自然体を大事にする、日本文化を背負って行動する、自然体の絆で歓送迎会、新年会等を生み出してきました。

春、桜が咲いて心が浮き立ちます。根本的な集いの気持ちを確かめ合う行事、共感の場、確認の場、他者を考える場なのです。更に、行動を共感することで思いを繋ぐ自然体としての場でもあるわけです。

この春もコロナ禍では、これまでのような「花見」はできませんが

コロナ禍では桜の木の下でゆっくり宴会をして過ごすことはできませんが、昨年並みに、密を避けながら桜並木を愛でるくらいはできるでしょう。ご家庭で鉢植えや切り花で観賞することもできます。桜の木の下での飲食だけはまだ控えなければならないようです。

歴史的に日本人の特性と日本文化が反映されてきた「花見」ですが、昨今、政治家や官僚と民間業者との癒着・接待問題が相次いでいます。歪められている日本文化、本来的な意義と良さを今一度取り戻してほしいものです。

*北海道は桜の季節にはまだまだほど遠いので、了解を得て「花屋さんの満開の桜」を撮らせて頂きました。ヒガンザクラでしょうか。見ているだけで心が和みます。

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