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日記

「高級手作りマスク」を頂き、懐かしさが込み上げてきました

投稿日:2020年8月20日 更新日:

梅雨明け前、九州地方を次から次へと豪雨が襲い甚大な被害をもたらしていた。ふと、テレビ場面に見入りながら思い出すことがあった。あの教え子達はどうしているのだろうかと。あの教え子達といっても40年も50年も前で、今ではすっかり一人前の大人として活躍しているだろうあの教え子達のこと。

その一人福岡県に住んでいる子に安否確認のはがきを出してみた。長らく年賀状のやり取りをしていたが、最近はすっかりご無沙汰している。とは言え、万が一水害にでも遭っていたらはがきは届くのだろうか。出した後、音沙汰がなく案じていたが封書が届いた。出した住所にはがきは届いて安堵した。

手紙と一緒に素敵な手作りマスク入りで

大学生になった息子さんお二人と面影が残っている本人の写ったお写真、そして有難いことに彼女の手作りマスクが同封されていた。幸いお宅は高台にあり難は逃れたとのこと。そのマスクだが、刺繍を施した高級ハンカチを使用して実に丁寧に作られていた。細やかな俟ち入り。思い起こしてみるとお母様が器用な方で、当時、手作りエプロンを頂いていたのを思い出す。

駆け出しの小学校教師だった頃

教師として二校目の赴任地は、当時は北海道でも自衛隊の町として名の知れたところだった。その自衛隊基地近くに官舎が多く立ち並んでいた地域の小学校。通学している子供達の約90%の保護者は自衛隊員で、その中でも出身地が九州の保護者が大半。○○附属小学校等と揶揄する声もあったほどなのだ。現在、その地域は随分変わってしまい一般的な住宅街になっていると聞く。

駆け出しの小学校教師だった私。下手くそな授業とただ夢中の毎日で今思い出してみても赤面の至り。後に知ったことだが自衛隊幹部のお子さんが多かったらしい。勉強がよくできて下手な授業なのに本当によく学んでくれた。校内を歩いても走り回る子などいない。どの子も整然と右側を歩いている。学校内全体が落ち着いていて非行のない小学校と言われ、怒鳴り散らす教師の声は殆ど聞かれなかった。

遊ぶ時には遊び、学ぶ時には学ぶメリハリのある子供達

その頃、今のように配置される教師の数が多くなかったので、出張で教室を空ける時には教頭先生が入って下さった。教室を空けた翌日、お礼を言い子供達の様子を教頭先生に窺ったところ、「それぞれきちんと課題に取り組み自習していましたよ。心配ありませんよ。」とのこと。まだ3年生の子供達だった。

休み時間には遊び授業ではきちんと学ぶ、その様にメリハリのある理想の子供達。これは家庭教育に寄るものが多分にあったと思う。九州出身の保護者は3年間から5年間で転勤で子供達は転校してしまうのが寂しかった。

授業参観とその後の懇談会でも非常に協力的で、新米教師の私を温かく受け入れてくださった。そういう小学校でもあり、私の教師としての滑り出しは好調。お陰様で多くを学ばせて頂き、子供達を始め教師集団から得る事柄が数多あった。

ところが、それから数校転勤してそのような職場は全く稀であることが判明?以後30年近くを試行錯誤の教員生活となるのだが。昭和のあの頃とつい現在を比較してしまう。時代そのものが全く違うにもかかわらず。さらに様々な生活環境の中で人々は生きている。その偶一つの共同体としての小学校の子供達と教師集団に過ぎなかった。

けれども、退職前の最後の5年間勤めた小学校の保護者と子供達も似た印象で、初め良ければ全て良しの教職生活だったように思う。

マスクあれこれ

「緊急事態宣言」が出された後、店頭から使い捨てマスクやトイレットペーパーが消えた。最近は様々なマスクが市販され、暑さを弱める夏用マスクがあるほど。手作りマスクも販売されていて可愛らしい柄に目移りしてしまう。買おうかどうしようかと思い悩んでいた時に頂いた高級手作りマスクだった。

大切にしまっておこう。いろいろな意味でもったいなくて使えない。長くなりそうなマスク必需品の生活。お盆が過ぎたとは言え、日本列島に連日のように酷暑が。

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