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日記

「高橋源一郎の飛ぶ教室 NHKラジオ第一」より「ペスト」カミュ著

投稿日:2020年5月2日 更新日:

4月10日(金)から聴き始めている「高橋源一郎の飛ぶ教室」。数回、視聴している中で「ペスト」カミュ著の紹介が既に行われていたことがわかった。「らじるらじる」で調べてみたところ、4月末までに3月20日(金)放送された分が残っていたので、取りあえず聴いてみる。「高橋源一郎の飛ぶ教室」午後10時5分からで、4月から本格的に放送されるプレ番組だったとは知らずにいて。

2020.3.20「高橋源一郎の飛ぶ教室」プレ番組(らじるらじる)より

4月から「夜の学校」を開校することになりました。「すっぴん」が終了する時、単独で番組を、という話がありお受けすることにししました。「どんな名前にしますか。」と、問われて「飛ぶ教室」と答えました。この言葉が大好きで、実際、「飛ぶ教室」という私塾を開講しています。

「飛ぶ教室」(ケストナー著)は、1933年に発表された児童文学書。当時は児童文学だけ許されていたドイツのヒットラー政権下、先生や子供の自由を求めている素敵な小説です。どんな時代であっても、社会からの押しつけでなく自由でありたい。そして、自由だけではなく楽しくね。この「飛ぶ教室」とは、あらゆる所に飛んでいくという意味もあります。

0時間目 入学ガイダンス、体験授業

もう一人、この方がいてくれます。お相手のアナウンサーは小野文恵さん。生放送の番組は初めてです。4月3日(金)からスタートするこの番組ですが、今日は教室説明会、ガイダンス、体験授業のようにやっていきます。今日だけの特別なこの時間なのです。

番組は、前半、一コマ目は源一郎さんが本の紹介をし、二コマ目、後半はゲストを迎え生徒になった源一郎が学びたいことをお聞きしていきます。社会と関わって元気になるように、心のワクチンとなるような番組を目指して。オリジナルテーマ曲、チャイムのようでチャイムではない曲?が流れる。

一コマ目 秘密の本棚「ペスト」アルベルト・カミュ著から引用

アルベルト・カミュ:1913年アルジェリア生まれ 「異邦人」、「ペスト」でノーベル文学賞受賞

1947年、アルジェリアのボランで、医師ベルナールリューは一匹のネズミの死骸を発見した。それが、ペストの始まり。その後、至る所にネズミの死骸が増え、街の封鎖へとまで進んでいく。リューは人間の尊厳をかけ闘う。実は、今、「新型コロナウィルス感染症」影響下でこの「ペスト」(カミュ著)が物凄く売れていて、2月と3月で1万4千部の増刷。某ネットショップでは第3位とか。

過去、何度も繰り返し克服してきた感染症。第二次世界大戦後、人間の力を超えた大きな力に襲われた時、何を考え、どう克服するか。「ペスト」(カミュ著)は第二次世界大戦をペストに例えて書いている。まるでドキュメンタリーのような小説で、大きな困難に立ち向かうにはどうしたら良いのかを問っている。

医師ベルナールリューが、最初、ネズミの死骸を普段ないところで発見。その後、物凄い数になった。それを不信に思ったところから物語は展開していく。ペスト患者が次々に出てきた混乱の中で、何人かの登場人物がモラルを持って立ち向かっていく。

死者が出た時、民間の保健委員会ができ、ペストとわかっていたリューだが相手にされない。リューは個人の責任で動いていて、社会は受け入れるのが遅かった。その後、オラン市は閉ざされていく。ペストの致死率は70%で、「新型コロナウィルス感染症」と比較すると重篤だが、本質的には同じ。何万人という死者が出た。

タルー、風来坊で謎の人物。頭脳明晰で自己犠牲する。彼と心が通い合う。タルーはリューに尋ねた。何故そんなに頑張るのか。医者になった時、死ぬところをを見なければならないと、リューは語る。医者である前に人間であり、リューは慣れっこにはなれないことがわかった。

慣れないままペストに遭遇してしまう。際限なく続き敗北。そして、多数の死者が出た。責任が出てこなくなる。自然の脅威には絶対に勝てないし、かなわない。でも、何かをしなければならない。タルーは民間の防衛隊に申し出る。命がけのボランティアだった。

何故、タルーは命がけのボランティアを自ら申し出たのか。謎の人物であるタルーはリューをよく理解してくれていた。実はタルーの父親は検事だった。父親は犯人に死刑を求刑した時、あれは間違っているとタルーは受け入れることができなかった。その後、世界を彷徨う。死刑制度を廃止しようと。そして、ボランに到着する。我々はみんな自分の内にペストを持っている。誰でも、銘々、ペストを見て見ないふりをして生きている。考えすぎると生きてはいけない。誰かを殺すことで生きている。

タルーのような自己犠牲になる人もいる。ペストが終息に向かっているときペストで亡くなってしまった。良き人たちは、みんな死んでいった。リューはペストを知り、友情を知り、愛情を知った。無垢に立ち向かう人と気力を忘れない。広大な世界をカミューは描いている。

何が変わって何が起こったのか。たくさんの被害が残った時、記憶しておかなければならない。ギリギリまで闘って忘れてしまうことかもしれない。戦争も月日がたち覚えていればいいという程度になると、忘れてしまう。ペスト菌がどこかに潜んでいて、いつか、不幸と教訓を呼び起こさせ陥れるかもしれない。

この一曲 ルイアームストロング「この素晴らしい世界」

二コマ目 今日の先生は「漫画家 ヤマザキマリ」さん

ヤマザキ マリ:1967年生生まれ 東京都出身 フィレンツェ・イタリア国立フィレンツェ・アカデミア美術学院 女性漫画家、文筆家、東京造形大学客員教授、イタリア在住、書籍 プリニウス、テルマエ・ロマエマンガ大賞、手塚治虫文化賞受賞

現在、イタリアと日本に拠点を置く。先月(2月)末、イタリアから帰国。イタリアは最初、1~2人の感染者しかいなかった。その頃の日本の状況から、帰って来るなと言われるほど日本は感染者が多かった。日本にいる間にイタリアでは感染が拡大し閉鎖され帰れなくなってしまう。息子と夫と家族三人は分離状態。イタリアは日本との事態に対する向き合い方や緊張感が全く違う。

日本は風邪やインフルエンザと同じように捉え楽観的。イタリアでは大変なんだと、向き合い方や捉え方が全く違う。現在、イタリアで親族が感染しているので、よほど日本より死への恐怖がある。ペストの状況と同じで、実存主義的考え方をし、キリスト教的捉え方をしていて根本的に日本とは異なる。

日本ではお年寄りが一人で亡くなり、一人で埋葬されている。イタリアではとんでもないこと。ペストを読んでいると同じカトリックの国として、イタリアの現状と変わらない。イタリアは新聞やテレビといったメディアに踊らされないし、メディアを信用しない。自分で考え、意見を持たなければならない。

イタリアは観光客がいないと崩壊する国。でも、命があると経済が破綻してもやり直しがきくと、異文化の考え方の違いを思い知らされた。極限状態で人間の素の姿を見せられた。日本は、どこかで勝てるものと思っていて楽観的。イタリアは偽らない。自分の命がかかってくると偽らない。

ペストに描かれている人物は、全員、記述者だ。言葉を扱う人が本領発揮だが、それこそが、この書物を読みづらくしている理由にもなる。ペスト終盤、終息したと思って人々は騒ぎすぎた。本当は誰もいなくならないと終わらないのに。気を緩めてはいけない。終わりの頃、死ぬはずの人が死なない。解放された喜びで忘れてしまってはいけない。

2月末の渋谷の人の多さが凄かった。少し良くなると騒ぎ出す。人間の性で、なかったことにしたい、大丈夫、大丈夫と言う。日本の状態は普通ではないが、出来るだけ軽く思おうとしている。誰かに責任を追求しようとはしない。

台風、戦争、自然災害等の大きな出来事はパニックに対して基本的には同じ。ヨーロッパでは、もう少し怒るし楽観視しない。ペスト等の疫病への対処の仕方が、日本と違う。ヨーロッパは、ペストで歴史が変わった。日本は島国、日常的に耐えて見て見ぬ振りをする。

カミュが言いたかったこと。メディアから入ってくる情報があっても、自分で考えろ。ずっと考え続けないとまたペストが来るよ。何か大きなことがあった時には、考え続けろ。戦争も同じだ。過去を読もう。ペストで知ろう。

ヤマザキ マリさんは、イタリアに在住していて、丁度「新型コロナウィルス感染症」が世界中に猛威を振るう中、自国との考え方の違いを思い知らされ、「ペスト」(カミュ著)との内容に踏まえ語っていた。「本から得るものは多い。デカメロンを読もう。原発問題とよく似ている。350年前のことで、人間って変わらないと思った。」と、番組の最後に源一郎さん曰く。

「ペスト」(カミュ著)をやっと手に入れ

「ペスト」(カミュ著)をやっと手に入れ目下読んでいる途中ですが、正直、読みづらい。ところが文脈に慣れてくると、次第に引き込まれていった。オランの封鎖によって、取材で訪れていた新聞記者は、閉ざされてしまったオランから帰ることができず。

医者のリューは他地域に病気で入院している妻に会いに行くこともはばからず。それぞれ、身内と遮断されてしまう。たまたまオランにたどり着いていた風来坊のタルー。宛も実際に存在していた人物たちのドキュメンタリーのように物語は展開していく。徐々に食べ物が不足していくオラン。

ヤマザキマリさんが語っているように、日本はことの重大さに関して楽観的過ぎるのかもしれない。土日、食料品を求めスーパーに溢れる買い物客。「食料品は十分供給されています。」と、ニュースで語られているが、徐々に野菜が値上がりしているのが現実。生産は十分でも流通面で滞ってきているのではないのか。

「外出自粛」と言われていても、一流企業を除きテレワークが未だ進んでいないと思われる日本。通勤時の地下鉄や電車の混みようは「三密等、どこ吹く風」を思わせる。どこかチグハグ。「外出自粛」を唱えるのと、それで経営が行き渡らなくなる業種があるのは至極当たり前。

保障と表裏になるのは必然で、ど素人や一般人だってその位わかる。あちらが立てばこちら立たずではなく、ヨーロッパのような一括保障が必要。命が一番で経済はその後でも立て直せる、この言葉が、この番組と「ペスト」(カミュ著)から印象的だった。

追記 2020.4.24 印象に残った箇所から

以下、引用

(「ペスト」カミュ著 宮崎嶺雄訳):あまりにも多くの人々が無為に過ごしていること、疫病はみんな一人一人の問題であり、一人一人が自分の義務を果たすべきであること。(タルー)

あらゆる経済生活の組織を破壊し、相当多数の失業者を生ぜしめたからである。

それまでは、自分たちの苦痛を集団的な不幸からがむしゃらに引き離していたのに、今ではその混合を許容していた。記憶もなく、希望もなく、彼らはただ現在の中に腰をすえていた。実際のところ、すべてが彼らにとって現在となっていったのである。ペストはすべての者から、恋愛と、さらに友情の能力さえも奪ってしまった。なぜなら、愛は幾らかの未来を要求するものであり、しかしわれわれにとってはもはや刻々の瞬間しか存在しなかったからである。

僕は世間でよく言う政治運動をやるようになった。ペスト患者になりたくなかったーそれだけのことなんだ。僕は、自分の生きている社会は死刑宣告という基礎の上に成り立っていると信じ、これと戦うことによって殺人と闘うことができると信じた。(タルー)

誰でもめいめい自分の内にペストを持っているんだ。なぜかといえば誰一人、この世に誰一人、その病毒を免れているものはないからだ。そうして、ひっきりなしに自分で警戒していなければ、ちょっとうっかりした瞬間に、ほかの者の顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまうようなことになる。

自然なものというのは病菌なのだ。そのほかのものー健康とか無傷とか、なんなら清浄といってもいいが、そういうものは意志の結果で、しかもその意志は決してゆるめてはならないのだ。(タルー)

:以上、引用

追記2020.5.1(金)「高橋源一郎の飛ぶ教室 NHKラジオ第一21:05~」

緊急事態宣言からすっかり生活が変わってしまいました方も多いことでしょう。それでもずっと家にいる人は、どう過ごしてして良いのかわからない人が多いのではないでしょうか。これは社会全体が突然の長期休暇か夏休みとして味わっているようなものです。

自分自身の夏休み、特に小学校低学年の時の夏休みは自由の象徴そのものでした。子供だった僕たちは夏休みの過ごし方を知っていました。しかし、大人になった僕たちは、今、過ごし方をすっかり忘れています。成長して戻ってこられたら良いですね。今日も開講します。インターネットで自宅からで、小野文恵さんはスタジオからです。「高橋源一郎の飛ぶ教室」、スタートです。

一コマ目 マンガ

本の前にどうしてマンガか。人生、一番読んでいるのはマンガです。3歳から月刊誌「冒険王」を連載で読んでいました。ずっと続いていて、週刊誌「週刊マガジン」「週刊サンデー」など一年間でその頃100万ページを超えていたかもしれない。その頃の少年向け月刊誌、週刊誌全部読んでいた。夏休みには基本的に家でマンガを読んでいた。この夏休み、長期休暇に読むのはマンガですよ。

源一郎さんの意外な一面をお聞きして

今日の放送は一コマ目までしか聴いていなかったのですが、源一郎さんの意外な一面をお聴ききして、驚いたというか納得したというか。同年代の者として妙にわかったような気がする。私達の年代は子供の頃というと、昭和30年代~40年代に子供たち対象の週刊誌や月刊誌が多種に渡り発売されていた。

内容は殆どマンガ。男の子は「冒険王」「週刊マガジン」「週刊サンデー」。女の子は「りぼん」「なかよし」「マーガレット」。でも、正直、私は読んでいなかった。父親が買って私達に与えた雑誌は小学館「小学○年生」。厳しい父親だったのでそれが当たり前のことと思い素直に受け止めていたのかもしれない。

友人の家に行くと、「りぼん」「なかよし」「マーガレット」があった。それを借りて読んでみたことがあったのかもしれないが、父親の顔が浮かび隠れて読もうという気にはなれなかった。父親にとってマンガそのものを良くないものとして捉えていたようで、それが子供の私に伝わっていたのかもしれない。

90歳で亡くなった父親は読書好きな人で、マルクス、資本論・・・と、兎に角お堅いもの、愛読していた雑誌は岩波書店「世界」だった。子供たちには「小学館」の雑誌を強要した。父親が亡くなった時の書物の片付けが大変で大変で・・・。

ある面では尊敬する父親ではあったが、頑固親父そのもので私は長子だったせいもありそのまま受け入れていた。そして、吹き出しの中の細かな文字を目で追うことに抵抗があったのは確かで、上下か左右に文字を追うのを好んだからか。

ところが、三人の弟たちは長男を筆頭に違っていた。三人とも無類のマンガ好き。長男を真似するというか見習う次男と三男。来る日も来る日もマンガそして、マンガの世界。そういう男の子達に、ついに父親は無言で脱帽してしまっていたようだ。男の子パワーは凄いと、今改めて感じてしまう。

結婚した夫も大のマンガ好きであった。しかし、様々な他の書物も読んでいたかもしれない。読書への入り口は、マンガであれ物語であれ良いのではないかと改めて思う。我が家の子供たち、そして孫も読書好きのようだ。新聞、書物といった活字の世界は人生にとって大切である。今は、スマホからが多いのではないか。それで良くて離れてはいけないように思う。

いくつになっても目からと耳から学ぶ大切さを痛切に感じる。脳に絶えず刺激を与え続け、脳みそをフル回転させていこう。認知症予防の一つでしょうか。いずれはそうなるのかもしれないが、まだボケられない私。

 

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