日記

「高橋源一郎の飛ぶ教室 NHKラジオ第一」より、忘れられたパンデミック スペイン風邪

投稿日:2020年4月19日 更新日:

NHKラジオ第一「すっぴん」(月曜日から金曜日午前8:30~)が3月で終了してしまった。金曜日「源ちゃんのゲンダイ国語」の愛聴者だった私は少々気落ちしていた。金曜日には、午後9:00から「飛ぶ教室」が始まると語られていたが、これまでの生活リズムがあり諦めていた。ところが、何の気なしに聞いてみると・・・。

2020.4.9(金)「100年前の感染症から学ぶこと」

暫く、拝聴していなかった懐かしい語り?で番組は始まった。何と「金曜日 すっぴん 源ちゃんのゲンダイ国語」と変わらないではないか。あの部分だけお引越しして、1時間番組となったことが判明。それならそうと、番組終了時に言ってほしかったものを。たぶん私の聞き取り方が悪かったのかもしれない。

お相手のアナウンサーは小野文恵さん。今日は小野文恵さんはスタジオから、源一郎さんは「新型コロナウイルス」のためテレワーク、つまりご鎌倉の仕事場から電話での放送となっている。7都府県に「緊急事態宣言」が出され、今日は最初の週末。

絵本作家の五味太郎さんへのインタビューの様子をお伝えしたいで、始まった。「新型コロナウイルス」でみんなが不安になっている時、どう思いますかと、第一声を。その前は安定していたのかと、逆に尋ねられてしまった。子供達には今こそ考える時、今がチャンスと言いたいと。

流行る前に戻りたい、戻るといい、という考えが多いが、あれは良かったのか、あれで良かったのかを考えるべき。行きたくもないのに学校へ行けと言われているのは、入りたくもないお風呂に100まで数えてイヤイヤ入っているのと同じ。学校化社会、言われるからイヤイヤ学校に行き卒業して社会へ巣立つ。その仕事場へ好きで行くのか、ただイヤイヤ行っていたのか。本当はどういうことなのか。考える時ではないのか。

一コマ目 秘密の本棚 現代の世相や時局を分析しお勧めの一冊を紹介し、現代社会を生き抜くヒントを与えてくれます

「史上最悪のインフルエンザ:忘れられたパンデミック」アルフレッド・クロスピィー著 みすず書房

当時、20億の人口で5億の人がかかった。少なく見積もって250万人以上の死者を出したといわれている、1918年~1919年のインフルエンザ(通称「スペイン風邪」)、忘れられた病気、最大の教訓。第一次世界大戦の最中、戦争で死んだ人より多かった。社会・政治・医学史入力またがる史上最大規模の疫禍の全貌を初めて明らかにした感染疫学・疫病学史研究の必読書。

「そんなことがあったね。」で終わっているスペイン風邪。「スペイン風邪」のことはあまり言われてこなかったが、実はアメリカからだった。デトロイトとかカンザツ州からという説がある。第一波は1918年3月から流行って、一時消えたが、兵士がヨーロッパへ持ち込み大流行した。

第二波が一番大きかった。もう一度、アメリカへ戻って流行った。再び現れた時にどうするか、未だ知らない。第三波はアフリカ・アメリカ・ヨーロッパの三ヶ所で同時感染大爆発。フィラデルフィアで大流行するかもしれないと言われていたが、自分たちは大丈夫だと思っていた。

侮って濃厚接触してしまい、その結果世界中に広がっていった。ひと月で1万人に広がっていった100年前の「スペイン風邪」。第一次世界大戦で死んだ人が多かったのに、なぜ「スペイン風邪」は忘れられたのか。忘れられたファンデミック。

フォークナーとかヘミングウェイなど、当時の作家たちの周りに亡くなった人が多かったのに、「スペイン風邪」のことを殆ど書いていない。なぜ書かなかったのか。忘れられているからか。アメリカでは100万人かかって5万人が亡くなった。人間は、自分たちがかかりそうにもなく、かかれば死んでしまうペスト・エイズ・結核といった日常にないもの、非日常に怖さを感じ忘れないし書き残すのではないか。

インフルエンザは、所詮、風邪だろうと、響きが吞気。人間がもつ日常生活にいると安心できる。心の持ちようが今のコロナと一緒。怖くないよ、普通だよという人間の気持ち。しかし、戦争やペストといった非日常は怖い。人間は楽に生きようとする。ただ、「正しく恐れよ。日常のものだ。」と、都合よく忘れている。寺田寅彦の言葉にある「正しく知って、正しく恐れる。」を教訓に、忘れられない過去にするためには、きちんと学ぶこと歴史に学ぶことが大事。

ここで、源一郎さんのリクエスト曲「ジュピター」歌 平原綾香

(「惑星第1組曲」ホルスト作曲 より 1918年9月ロンドンで正しく、「スペイン風邪」大流行の最中に初演された曲。)

二コマ目 その道のスペシャリストをゲストに、源一郎さんが知りたいことを聞き出す。今日の先生はいとうせいこうさん。

いとうせいこう(伊藤正幸)さん、ご自宅から  1961年生、東京都出身 作家、書籍「国境なき医師団を見に行く」「想像ラジオ」「ノーライフキング」「ボタニカルイフ」等、多数 クリエイター 日本語ラップの先駆者

今、この時期にこの人はどう動いているのか、気になる。

「スペイン風邪」で1億人も死んでいるけれど忘れている。東日本震災の時、東北の日本海沿岸地域には、津波の記録があったのに、過去の津波を無視して道路を造り開発していた。印刷されたもので残していかなければならない。未来へバトンをきちんと渡す。言葉で痕跡、跡を残す。100年前の「スペイン風邪」の痕跡がないのだ。

今回の「新型コロナウイルス」の100年後、別なピンチがあった時、人類はきちんと冷静に対処できるように、冷静に書いておかなければならない。生々しいと考える余裕がなくなる。

いとうせいこうさんは、2016年に「国境なき医師団」の取材に出かけられ、書籍「国境なき医師団を見に行く」に表す。

「スペイン風邪」について、当時の日本の様子を調べてみました

当時の日本の「スペイン風邪」の様子はどうだったのだろうか。今日のお話の中で疑問に思ったので、調べてみた。現在、「新型コロナウイルス」の渦中でその教訓が生かされているような情報はない。第一次世界大戦で日本は特に戦場になっていないので、影響はなかったのだろうか。様子を知りたかった。

ところが、神戸新聞によると、日本では約2300万人が感染し、亡くなった人は約38万人。この人数に関しては、資料によってかなり違いがある。当時も、学校が閉じられマスクが高騰し、現在と似た状況だった。そして同様に外出自粛が呼びかけられていたが、徹底されていなかったことで蔓延の要因となる。

100年前の教訓に学んだのか

終息するまでには、1918.1月~1920.12月と、約3年にも及んでいる。その最中、関東大震災も起こった。更に金融恐慌が追い打ちをかけ、アメリカの株価大暴落に始まる世界恐慌へと進んでいく。100年前の教訓は現在に活かされているのであろうか。

全く話題になっていないということは、活かされていないことになる。源一郎さんのお話にあった「100年前の歴史に学ぶ」、なるほどと思う。明らかに歴史は繰り返すのだから。いとうせいこうさんが語っていたように、折角書面で残したとしても、都合の悪いことはシュレッターにかけて破棄してしまっては元も子もない。。

何処かで聞いた「時の政府」の話ではないが、こんな事を政治家たる者やってはいけない。「新型コロナウイルス」について、国内の現状を詳細に書き残しておいてほしい。100年後の子孫たちの為に。もしかしたら、長寿社会になっていて書面ではなく語り部が生き証人として存在しているかも知れない。そうあって欲しい。

100万部という空前のベストセラーとなっているカミュの「ペスト」を今読んでいる。文庫本であるが、正直、なかなか読み進み辛い。若い頃に読んだ事があるような気がする。何とか読み終えよう。一匹のネズミの死骸から、物語は始まる。

カミュ「ペスト」の翻訳者は、後書きに「カミュがこの小説で描きたかったのは、病気そのものよりも人々に無作為に降りかかり、また人間の技術を持ってしても克服することのできない不条理さでした。」と、語っている。「新型コロナウィルス感染症」の現状と全く変わらない。

個人的に、セミナーや講座、講演会等、予定していた学ぶ機会が全てキャンセル状態になってしまった。致し方ないが、「高橋源一郎 飛ぶ教室」は当面の間、自宅に居ながらにして学ぶことができる唯一の機会なのかもしれない。考えさせられてしまうし、書物を選択するきっかけにもなっている。

追記 2020.4.17

緊急事態宣言、外出自粛2週目の夜を鎌倉の施設スタジオからインターネットを使ったテレビ電話で。鎌倉の街を歩くと人影はまばらで静まり返っている。いろいろキャンセルが多く、次に人と会うのは9月かもしれない。違う時間を過ごすようになった。人と人との距離が遠くなることをソーシャルディスタンスというが、18歳の時、最強のソーシャルディスタンスを経験した。学生運動で捕まって独房にいたので、8ヶ月の間に、人と全く会わず、たとえ会っても金網越し。

当時、せっかくこれほどまでに人とも会わないので、やれることをやろうと考えた。生涯で一番本を読んだ。一番手紙を書き、一番手紙をもらった。ソーシャルディスタンスの8ヶ月の間、ここから出てからもこの生活を続け、1分1秒を大切にしようと思った。しかし、出た瞬間忘れた。その時、一番楽しみだったのは、壁の上から流れてくるラジオだった。

スタジオには小野さん一人。「慣れましたか、源一郎さん。スタジオの外が大変です。電話がつながらなかったとか何とか、シッチャカメッチャカのドタバタです。始まったばかりなのに離ればなれで寂しいですね。」

「こういうことは二度とないかもしれないので、貴重な時間だと思っていきましょう。」

一コマ目 秘密の本棚「霧中の読書」荒川洋治著

荒川洋治(あらかわようじ 本名ひろはる):1949年福井県生まれ 26歳で、詩集「水液」でデビュー、日本の現代詩作家、随筆家、批評家、小林秀雄賞、日本芸術院会員

日本芸術院会員は定員120人で、現在99人 詩人は5人のみ、だから日本のトップ4の詩人 素晴らしい批評家でもありエッセイストで3~4年に1回出品される作品を楽しみにしている。

「霧中の読書」荒川洋治著

ごめんなさい、作品の内容記述については省略させて下さい。「らじるらじる」で数回試みましたが、内容を押さえ正しく書き留めることは、極めて困難でした。そして、豊かな表現力と語彙を勝手に変えてしまっては申し訳ないと言う思いがありましたので。

読後、作品について読んだような気になる、読みたくなる作品が多い。素晴らしい作品がこの世にあるのだという紹介。つまり、読書感想文だがうまい。読書感想文を日本人は一番多く書いている。わずか、800字でわかった気分にさせる。

作家は書きやすいから、良い人ではなくて悪い人を出す作品を多く書く傾向にある。いい人を書くのは難しい。この本はいい人ばかり。読むべき本を紹介してくれる。知ると知らないでは違う。読む人を一変させてくれる。

荒川洋治さんのエッセイ「忘れられる過去」2004年講談社エッセイ賞受賞

「文学は実学である」と、荒川洋治さんの思いを

いい文学を紹介するのを課されている。この世を深く豊かに生きたいという人になりかわって。この目に見える現実が現実。文学は世間では役に立たないと言われている。魅力を教えない、語ろうとしない。社会問題を機に、漱石、鴎外は教科書から消えた。大学から、看板が外された。文学像が壊れているというのに。何でもいいから、知ることと知らないことでは大違いで、一変させる。文学は虚学ではない。

実学と言われている医学、経済学、哲学、法律学科学等など、目に見えて役立つと言われてきた学問が怪しくなってきている。文学も実学だ。今の時代、どのようにして生きるのか、何が大切なのか。生き方を5000年、考え続けてきているのが文学。その中で、「ペスト」が一番ではないか。何よりも心を強く持たせてくれる。文学は実学である。

源一郎さんが選んだ1曲 「ミスティー」 エロール・ガーター 作曲、自らピアノ演奏

初めて聴いた曲ですが、「霧中」の雰囲気を漂わせていた。まるで荒川洋治さんの世界そのもの。

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