日記

「源ちゃんのゲンダイ国語」 追記『一億三千万人のための「論語」教室』(河出新書)10月発売

投稿日:2019年10月27日 更新日:

平日のNHKラジオ第一「すっぴん」(8:30から)、パーソナリティは曜日ごとに異なり、其々、個性的なパーソナリティとアンカー藤井彩子さんとの軽妙なトークで進められ、どの曜日も興味深く拝聴している。

金曜日は高橋源一郎さん担当、アンカー藤井彩子さん。「源ちゃんのゲンダイ国語」は、高橋源一郎さんの著作物をはじめとして高橋源一郎さんが気になる作家の作品を紹介するコーナーの一つである。高橋源一郎さんは明治学院大学元教授、現在は小説家、文学者、文芸評論家で、著書には「ぼくらの民主主義なんだ」2015(朝日新書)など多数。

「深読み音楽会」井上陽水

今日、10月25日の「すっぴん」は「深読み音楽会」の話題で始まった。過日、テレビBSプレミアムで放映される予定だが、いつ放映されるのかは現在のところ未定。その内容はアルバム「氷の世界」の歌詞等、井上陽水を取り上げたそうだ。当時はアルバムは高価だったので、高橋源一郎さんは友人のレコードを借りて聞いていた。年代的にも近いものがあり興味深い。

振り返ってみると、井上陽水の曲は歌詩そのものを嚙み砕いてて聴くより、そのメロディーが良くて車の中で聴いていた。今は懐かしいcdで聴く事がある。過日、テレビBSプレミアムで放映されるその番組を見落とさないようにと思う。

ぼくらの孔子せんせいなんだぜ『一億三千万人のための「論語」教室』

ぼくらの孔子せんせいなんだぜ『一億三千万人のための「論語」教室』高橋源一郎著は、今日、2019年10月26日が発売日である。内容は、2500年前の昔の人、孔子が漢文で記した「論語」を20年がかりで翻訳した。

20年という年月を費やし厳めしい内容にも関わらず、今読んでも分かりやすいように平易な言葉で表した。その当時、孔子は政治学校(初級学校)で弟子の育成に努め、「論語」は弟子がまとめたものであり、それが後に「儒教」の教えとなっていった。自分で納得するまで読むと、今役に立つ。印象に残ったところを記してみたところ、例えば、親が死去した後は3年間喪に服す。ただの形式ではなく、「どうして3年間も喪に服すのか。1年間で良いのではないか。」と、弟子。

子供は1年ぐらいでつかまり立ちから二足歩行へ。しかし、しっかりとした足取りで歩けるようになるには3年くらいかかる。子育てを振り返ってみるとちょうど第一反抗期のいやいや時期ではないかと思う。その間、親の無償の愛ははかり知れない。服喪中の3年は親への恩返しと感謝の気持ちを表す期間。

そして、「礼」は「ルール」、「知」は「政りごと」、「仁」は「モラル」。社会のルールには意味があり、決まりにも理由がある。2500年前というと、キリスト生誕以前の遥か昔。究極的な教えをそんな以前に孔子が説いていたなんて、人間のあるべき姿は2500年を経ても変わらない。しかし、この現実を見ると孔子は嘆くのではないか。

「君主」(目上の政治家)は、「トップに立つ者」とすると古い頭の人というイメージがあるが、いつも庶民・人々を考える人である。庶民・人々は政策、食料、儀式で社会と交わっている。

「君主」はまさしく庶民ファースト・人々のため実際ファーストで、背後から庶民を無言で支える。寛容であれば従う、信用される、誰に対しても公平に接すると不満は生まれない。2500年も前から言われてきたが、未だ実現できていない人間社会。既に、政治の根幹を説いていた。今、孔子が生きていたら怒るのではないか。

「憲法を守れ、官僚は公文書を改ざんするな。」と。現代社会に平易な言葉で一石を投じている。庶民ファーストの○○さんたちはどれだけいるのだろうか。人間の欲と徳は自分ファーストに陥りがちだ。現在、高橋源一郎さんが『一億三千万人のための「論語」教室』を一番読んでもらいたいのは○○さんたちなのかもしれない。

追記 2019.11.25(水)テレビBSプレミアム(21:00から)「深読み音楽会」予告

上記、10月25日(金)に当番組で話題となった「深読み読書会」(井上陽水)は、11月27日(水)テレビBSプレミアム(21:00から)で放映されると、予告編にあり。続きをご期待される方はどうぞご覧頂きたい。

追記 2019.11.28「深読み音楽会」 シュールで不思議な『井上陽水』

出演:山本容子、小室等、安藤裕子、高橋源一郎、朝吹真理子(テレビでのトーク場面をメモに取るということは結構難儀なことで、多くの聞き違いがあると思いますがご容赦頂きたい。ごめんなさい。詳細はどうぞビデオでご覧下さい。)番組紹介では「深読み読書会」であったが、「深読み音楽会」と番組名が変更になっていた。

アンドレ・カンドレでデビュー。愛の詩人、はぐらかしの達人、フェロモンの人、臆病なボーイフレンド、本当の山師?、本性を明かさない

「傘がない」丁度、学生運動等の政治的季節が終わりクールダウン。上を見ていたのが下を見る。「君」は誰なの。何かであれ。自分の同世代の人間がバラバラになった。それはいいことだろうと、言っていいのか。「心もよう」青い便箋に黒いインクで手紙をしたためている。1年が綺麗に表わされ、時間が巡っている。季節を巡りあなたが変わっていた。終わった恋を確認している。

「帰れない二人」映像的なラブソング。帰れない、二人の未来はない。モダン過ぎる。「氷の世界」音楽界を震撼させた曲。人を傷つけたいな。誰かを傷つけたいな。自分が壊れかけている。「なぜか上海」源一郎さんイチオシ!友達誘っておいで、涼しい顔のお兄さんたち。海の向こうは上海。エキゾチックで歴史的な上海。上海事変でたくさんの死者を送り出した入り口。生きている人間も死んでいる人間も一緒にいられるユートピア。

「海へ来なさい」詩人のような心を持ちなさい。そして、心から幸せになりなさい。その子の為に祈っている。(これは、陽水さんのお子さんが誕生した時に作られたとか)「カナリア」山本さんイチオシ。まるで千夜一夜物語。「リバーサイドホテル」朝吹さんイチオシ。生と死の中間の場所にて。「ホテルカリフォルニア」学生運動の終焉。「あなたにお金」宮沢賢治の世界。今、あなたにグッドナイト 今あなたにグッドバイ。極上のラブソング。絶望的だが少しだけ希望がある、期待がある。(意味不明な文章が多々ある事をお詫びいたします。)

陽水の曲は、その意味を深く考えようともせずに、大好きだった。当時、流行っていたフォークソングでもなく演歌でもなくお洒落な感じのメロディーに魅了されたものだ。それで、この番組を興味深く視聴したが少々私にとっては高尚だったように思う。詩そのものにこんな深い意味があるなんて。

追記 2019.11.29 車寅次郎(トラさん)の誕生日(1936.2.26という説もある?二・二六事件の日)

オープニングの語りは、源一郎さんが、一昨日、記者クラブで講演したこと。1989年(平成元年)30年前はベルリンの壁崩壊、天安門事件、手塚治虫さん・美空ひばりさん・松下幸之助さんが亡くなった等、色々なことがあった。個人的には日記をある雑誌に連載していて、「追憶の・・・」を1年間の連載の為、日記を書き続けた。原稿用紙600枚。日記だから中身半分は競馬の話、読書の話、日常生活のこと等、多岐にわたっている。

「昭和、終わりました。」寝ている間に新しい年になった。30年前と時代は変わっているようで変わっていない。80年代、90年代の昭和の頃は記憶に残っているが、それ以降平成に入り2011.3.11しか覚えていない。昭和から平成に入りバブル経済の絶頂期だった。「平成」と聞き、ひとくくりで「変」と、江藤淳さんがインタビューで絶句していたが、「昭和」に慣れ過ぎていたのか。

今日のお便りテーマは「何とかはつらいよ」。源一郎さんは原稿の締め切りを複数抱えていて「締め切りがつらいよ。」とのこと。昨日の講義2限時、呼吸が苦しくなった。「倒れたら救急車を呼んでくれ。」といったほどで、寝不足が続いていた。

『テーマ 隣りの国の言葉ですもの 「ハングルへの旅」茨木のり子著』

茨木のり子:1926年生まれ、日本の詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家 主な受賞歴 読売文学賞東邦大学薬学部に入学、在学中に空襲や勤労動員(海軍系の薬品工場)体験,1945年19才で終戦を迎える。

ハングルを学ぼうとした動機は、朝鮮の民謡に関わる本を読んでからハングルに興味を持つようになったという。19才や20才の人生で一番美しい時が戦争だった。その戦争の時の思いを持って戦後になって仕事をした。そして、50才になりご主人を亡くし、どういう方向へ行こうか何をしようかと思い悩み、見つけたのがハングルだった。

人々の間でたちどころに、英語やフランス語ではなく「どういうことで、何故?」と、怪訝な顔をされる。動機は何であれ、「隣の国の言葉の言葉ですもの。」と、答えることにした。インドネシア、タイといった東南アジアに外交官や商社マンとして赴任した旦那さんに付いて現地で暮らす日本女性は現地の言語を覚えようとしないし、勿論近所付き合いもしない。奥さん同士の交流はすごいらしい。東洋を切り捨てる国の方針。

「プロローグ」とても大きな問題を含んでいる

動機は朝鮮民謡集を愛読していたこと。夫との死別、古代史を読むのが好きで韓国語の詩を訳してみたいと思った。韓国の詩人、ホンユンスシさんにお会いした時、「日本語がうまいですね。」と、うかつに言ってしまった。36年間、日本語教育をされていたという、痛みを含めて理解していなかった。1945年以降、改めて母国語を学び直した。これも動機の一つであ。ただ単に面白そうだけではなく、隣の国の言葉にある歴史や社会へ立ち向かう向かう覚悟がある。動機は無難に「隣の国の言葉ですもの。」ということにした。南も北も含めてのハングルである。茨木のり子さん、50才を過ぎてからカルチャーセンターに通って覚え韓国への旅行もした。

「本体」は面白いが飛ばして、「忘憂里」

最後に別のこと、浅川巧・浅川伯教兄弟について。二人は柳宗悦民芸運動のきっかけをつくった人。共にその朝鮮民芸と陶芸の魅力を伝えた。浅川巧は朝鮮半島で林業試験場職員農林技師として林業事業を行っていた。その傍ら、朝鮮の文化・民族を日本の国策として差別していた時代、当時の日本人は気づくことがなかった朝鮮庶民の陶磁器・工芸品そして現地の人を愛した。差別される側に身を置くことで困窮している人を助けた。彼が亡くなると、朝鮮の人は号泣し弔った。

50年前に亡くなった人で、1984年にお参りにいった。差別ということがない人だった。朝鮮総督の一人に過ぎないにもかかわらず、その時できることを献身的に尽くした。それをこの国の人は見逃さず、こんなにも愛された人がいた。普通に触れて言葉を覚え、普通に接していた。墓はソウル郊外の忘憂里共同墓地にある。そこの人が守ってくれている。その時に好かれて、今でも好かれている日本人のこと。

ホンユンスシさんとの出会いが茨木のり子さんがハングルを学ぼうとした一番の動機だったのかもしれない。差別やヘイトスピーチ、現在も絶えない。アイヌの人達に対しても多いそうだ。人間って、弱い低いと思ったところに付け込んでいく。職場でのハラスメントや学校でのいじめ問題は絶えない。ただ単に自分がその時だけ優位に立つことのみを考えて。当事者自身の問題であることを知らずに愚か者だ。

源一郎さんが語っていたように「平成」の30年を振り返ってみた時、私も「2011.3.11」以外に記憶に残っていることはない。戦争がなかったから平和なのではない。それより増して資源災害の何と多かったことか。そして、物言わぬというより言わせなくしている国民に対して、知らず知らずのうちに忍び寄ってくる様々な脅威。これから10年後、50年後、気が付いて見たら「失われたあの30年だった」となっていないことを願うばかり。私たちの子、そして孫の時代に。

追記 2019.12.6 お便りテーマは「6・ろく・六」です

オープニングは「久しぶりの海外旅行韓国への旅」で始まった。驚いたことに出入国手続きが変わっていたという。オンライン化されスタンプを押さないのだ。寂しい。ソウルは-8度で寒いという印象があり、、コートを着て行ったが何と暑かった。九州と一緒でコートを持て余してしまった。食べ物が美味しく、チェックを入れずにただ並んでいたらなかなか順番が来なかった時、可哀想に思われて列に入れてくれた。優しい。チヂミが美味しく、何でもトウガラシが入っている。国と国とは揉めているが、人々は良い人で民間では揉めていない。この旅については新聞に掲載される(あえて新聞名は語らず)。源一郎さんの今日の1曲は「見上げてごらん夜の星を」。

『テーマ 当たり前を疑え「13歳からの世界征服」中田 考著』

中田 考:1960年生 灘高校から東京大学文学部イスラム学科東京大学大学院 カイロ大学大学院卒 研究分野はイスラム法学、イスラム地域研究 実業家、同志社大学客員教授、元同志社大学教授 敬虔なイスラム教信者、アラビア語に堪能

「13歳からの世界征服」は、13歳のための人生相談の本。世界でイスラム教は、大きな話題・テーマとなっている。中田さんは分かり易く教えてくれる。普通の常識とは違い、逆に思えてくるユーモアとなっている。「世界征服」など、絶対実現できない夢を持つこと。今の世界はダメ。プロセスとして世界征服。

「なぜ、人を殺してはいけないの。」という質問に答えて、「刑法199条」には何処を探しても人を殺してはいけないと書いてはいない。ばれずに一生をおくる人もいる。スターリンや毛沢東は何百人、何千人と殺しても何の咎めもない。それを決めるのは神だけ。人を殺したければ殺せばよい。できないのであれば、できないのは何故かを考える。決める何かがある。良心が痛む。社会が許さない。それが神に従っている。一人一人の心の中にある。非常識なようで包み込んでいる。

「自分という存在」が、勉強と部活で図られたくない。誰が図っているのか。勉強や部活より関西ではお笑いが一番。自分の何かを発見すること。内面の可愛さが大事。外見から、次に内面から修正が必要だ。初心者はネコの真似から入ると良い。ネコは元々可愛い。服装をネコにして自分をネコに近付ける。可愛く見える。ダメだったらイヌの真似をする。それでもダメならネズミ。可愛くする。物凄く自由で懐の深さ。

「選挙に行った方が良いのか。」と、言う質問に「どちらでも良い。」。選挙権が18歳というのは何の根拠もない。年齢制限はばかげている。今の世界は国家という縛りがある。国家は誰が決めたのか。国家や国境のない世界へ。世界征服の夢を持つこと。イスラム法のもとにカリフ性再興。世界征服しカリフ再興へ。

「その他の悩み」は、何のために働くのか。お金のためです。勉強できない。諦めなさい。暗い性格。直す必要なし。朝、起きられない。起きた時に、学校へ行くと良い。遅刻しても不登校になるより良い。物凄く深刻な内容からどうでもいいことも正している。非常識と思われるが、西洋的価値観で生きている。それをからはみ出るとギョッとする。法哲学者としては常識。現実を考えると納得する。今の常識で考えている。発想を変えよう。

壮大なイスラムの教えの中にいる「中田 考」さん。「イスラム」と、聞いただけですかさずイスラム過激派を連想してしまう。イスラム教徒、全ての人々がそうなのではない。敬虔なイスラム教の信者が大多数なのであろうが、ひとくくりに考えてしまうのは良くないとは思いつつ、別な目で見てしまう。「中田 考」さんのように、」ユーモアを持って広い心で物事を捉え思考しては行かなければならない。

追記 2019.12.13 お便りテーマは「もめたわ~」

オープニングは、高田馬場のある大学の打ち上げで、学生と某イタリアンファミレス店でのお話。鎌倉にもそのファミレスがありよくご家族で出かけるとか。ネットで調べても「良いファミレス」にランクインしていて安い。鎌倉では若い子がその店に多く、若い子の辿り着くところが分かった。学生たちの普段使いの値段の感覚が違う。今日、12月13日はテーラーツイストさんの誕生日。事務所ともめていたが、ただのごたごたではない。それで今日のお便りテーマは「もめたわ~。」にした。13日の金曜日かなと、思いましたが。

『テーマ「飲みすぎ食べ過ぎは良くない。暴飲暴食は良くない。」忘年会・新年会シーズンに因んで「読むダイエット」

「無病法 極少食の威力」ルイジ・コルナロ著(中倉幻喜訳)』今から500年前のヨーロッパで大ベストセラー

「ゲンダイ国語」のコーナーを8年間担当しているが、今までの中で一番古い本で、やったことがないジャンル。これから、忘年会・新年会と多くなるので参考になれば。これから、「読むダイエット」というタイトルであるところで連載していく。源一郎さんは69㎏の時、ダイエットに挑戦した。初めにダイエット本を50冊買った。全部読んで全てに共通するリストを作った。あまり食べないことだが、ダイエットすることで痩せる・体調が良くなる・自分の体のことが分かってくる。放置すると荒れる。人間関係も一緒。たどり着いたのが「ルイジ・コルナロ」。世界で最も古いダイエット本、健康本。

ルイジ・コルナロ:1464年生、イタリア貴族 食の多少は運命をも左右する。暴飲暴食に明け暮れて、30代であらゆる成人病を体験して40代で死の淵をさまよった。ところが、医者の勧めで極少食に変えたことで、晩年まで目・鼻・歯も完全。足腰も若い時と変わらず。声の張り。気分爽快。見る夢も快いものであった。102歳で大往生する。

中倉 幻喜:1948年生 食養研究家

ルイジ・コルナロは、70歳の時、馬車に乗っていて事故にあい引きずられた。医者に命は4日持たないといわれた。当時は血を抜く処置が普通だったが、それを拒否し、手足の固定とマッサージのみ行った。極少食を続けた体に回復力が備わっていた。83歳の時、世の中に訴える。不摂生が飽食へ繋がる。貧しいから小食で、飽食が良いことのように思われていた時代。単純な最小限の食で満足する習慣をつけることが大事と説いた。

90歳の時、平和な臨終を確信している。死に対する恐怖はない。讃美歌を歌っている中で死んでいきたいと記している。95歳の時の願いは、全ての人々に対して長寿ゆえの恩恵を伝え幸せな人生になることを願っていた。102歳の天寿を全うし、昼寝をするように静かに世を去った。彼の食事は一日に350g。卵の黄身一つ、全粒粉パン、野菜スープ、ワイン少量で400㏄(熟成されていない新しいワイン)。決して全ての人に勧めている訳ではなく、自分に合った極少食を死ぬまで続けた。

源一郎さん曰く。夜中に原稿を書いていてお腹が空き、いつもはその時間に食べないのに、コンビニで買ったおにぎりを食べ具合が悪くなってしまったとか。食べるという行為が活性酸素で体を錆つかせる。腸内細菌が活動始める。源一郎さんも有機食に近い食事で量も少ない。人類の歴史の中で殆どの時代、人間は飢えている状態が普通で活性化させ目一杯使わせる。生き物は満腹の時間はほんの少しで、穀物中心で新鮮なものを食するというのは理にかなっている。

120冊の健康本を読んだが、共通していることは余り食べないで水分を多くとることが合理的なようだ。「無病法 極少食の威力」は、文章そのものがダイエットされている。500年前の本なのに、根本的に文章や考え方がスリムでシンプルだ。膨らみ過ぎや詰め込み過ぎが気持ちや心を害していないか。単純な世界の本を読んで心のダイエットができる。体のダイエットは心のダイエットに繋がるということらしい。なるほど、何事もシンプルに。

現在は物が溢れている時代。食べたい物を食べたいだけ食べて、運動不足に気が付きお金をかけてジムへ行く。どこか矛盾していないか。食べたいという欲望を抑えることが我慢に繋がる。源一郎さんの体のダイエットが心のダイエットに繋がる、さすがです。

『「すっぴん公開生放送」のお知らせ』2020.1.13 東京渋谷NHKにて

申し込みは「ホームページ」にて、締め切りは2019.12.15(日)午後11.59(明日中です)まで。来場可の人にはハガキが届くそうです。一枚で二人、入場できます。可能な方はお早く。

追記 2019.12.20 「東京駅」が開業した日

今日のお便りテーマは「駅」。人々の出会いと別れの場所で人間模様がある。「駅」というと終着駅、伝言板・掲示板のイメージ。今はケータイがあるが。

源一郎さん、オープニングの語り。17日に女優のアンナ・カレーニナさんがお亡くなりになった。79歳。ヨーロッパの女優さんは皺を隠さないので、味わい深い。1967年、高校生2年生の時夏休みの直前に5人で彼女主演の映画を見にいった。南フランスの美しい景色の中で自由に生きていくことを表現した映画だった。悲しい映画ではなかったのにみんな泣いた。青春の真っ只中で、自分の50~60年後を連想してしまった。今になって、これが青春を表した映画だったとわかった。遥か未来を懐かしく思って泣いたのではないか。若い時は、年を取った晩年の自分の感覚がある。時々、くるんと回って未来の自分が見える。周りの大人を見るからか。時間は線で繋がっていて未来の自分が分かる。子供が大人びたことを言う。そういう感覚を持っている。

『テーマ 第二段 暴飲暴食していませんか。我は如何にして禁酒を成功させたか。「しらふで生きる 大酒飲みの決断」町田 康著』

先週に引き続き、忘年会や新年会が多くなる方(特にアンカー藤井さんへの戒め?)熟読・傾聴と、源一郎さん曰く。如何やら、お二人ともお酒はお好きのよう。

町田 康(こう):1962年生(本名やすし)小説家、ミュージシャン、デビュー くっすん大黒 ジャンル 小説、詩、パンクロック 「しらふで生きる」大酒飲みの決断 123回芥川賞受賞

30年間、飲み続けそこから始めた断酒生活を綴った。酒を飲みながら読み続け、読みながら飲んで最高に楽しかった(源一郎さん)。独特の表現をしている面白くて作家らしい作家。「人生、いかに楽しいか。酒こそ人生」を地でいっているのは、「大伴旅人」。「大伴旅人」の教えは、酒を飲まない奴は猿。生まれ変われるのなら酒樽。最も重要なことは酒を飲むこと。夏の夜、冷やした焼酎。秋の夜、湯豆腐をつつきながら。冬・・・。

これがあるから明日も頑張れる。酒は旨い。蹴飛ばしたくなる。踊りたくなる。喜びである。遥かに人生の楽しみは酒である。仕事を終わるまでは飲まない。30年間飲み続け、後20年で死ぬのであろうと、漠然と考えていた。平成27年12月末に突然やめようと思った。自分の理性を失った。私は私の「大伴旅人」の教えを忘れたのかと思った。

ある日、大変化が起きた。酒をやめるか、人間をやめるか。お前、自分で何を言っているんだ。酒をやめようと考えた。「酒やめますか。人間やめますか。」。急に決意した。理由は医師に止められた(ドクターストップ)のではない。心境の変化ではない。自暴自棄になるとかえってやけ酒になる。これでもない。思想上の問題か。しかし、判然としない。気が狂っているからか。やめるということは正気の沙汰ではない。狂気が酒をやめさせる。

なぜ、自分がある日突然、酒を飲んではいけないと考えたのか。不満があると解消とする。他人・自分・酒に酔う。不満足にする。世間に認められていないという自己認識を改めることで、これまでの良さを知ることになる。突然やめたので自分の理論を作った。それが、虚無に陥る。虚無、不満から救われる。やめたことで精神的に変化した。

11月の酒は旨い。10月より旨い。12月は一年のうちで一番旨い。いや、どんな季節でも旨い。祝い酒、雪見酒、弔い酒、理由を作って飲む。楽しくなるから飲む。そして、覚えていない。酒、人を飲む。人、酒を飲む。その私が鮭をやめた。どうなったのか。身体面、精神面、日常生活面、経済面が変わった。三か月間、厳しい戦いが続いた。3日間は飲んでしまうのではないかという恐怖、ダメ人間。一週間、一か月と苦しかった。しかし、一か月後、一日のうちで酒のことを考える時間が減った。うめき悶えた。

正月はおめでたい。お節料理という目の前に酒の肴がある。俺の人生、最大の難所だ。けれども、乗り切った。認識を変えると、正月は流れていく時間に過ぎない。人間だけ騒いでいる。暦を持っているから騒ぐ。屁理屈で乗り切った。4年間全く飲んでいない。禁酒は正で、飲酒は悪はやめて欲しい。

ビール一杯で充分な者として

(お酒がお好きな方は断酒となると大変なのだと、分かった。しかし、町田康さんは、大好きな酒を止めた。その理由と経過は、単なる屁理屈に思えてしまう。きっと、ただ何となくではなく精神的な身体的な異変があったに違いない。それを周囲、ご家族やお仲間に悟られたくないので理由を付けたに過ぎない。現在、59歳。人生100年と言われている時代、これからのご自分の人生を考え「百害あって一利なし」の境地に達したのではないか。)

正直に単刀直入に言えないところが、小説家・作家の所以からか。酒は「百薬の長」とも言われているので程々が良かったのに、一度口にするととことん飲んでしまうのであろう。そういう自分自身に気付いたのか。それにしても、断酒は辛そうだ。それを自力で脱出できたことは凄い。

追記 2019.12.30 『一億三千万人のための「論語」教室』高橋源一郎著を読んで (新書版ですが、通常の二冊分の厚さです。孔子先生が、将来、政治家になるであろう弟子たちへの講義を記したのが『論語』。)

二十年もかかって翻訳したなんて、さすが高橋源一郎さん。かいつまんで感想を込めながら記してみた。レッスン1~20で、499にわたっている。

はじめに ぼくたちの大好きなセンセイ

20年ほど前に、ある編集部から、『論語』翻訳の依頼があった。そこでは、『聖書』や『コーラン』も登場する予定でいたが、結局、『論語』のみとなった。もともとの企画がなくても、ひそかに、『論語』を現代語に「翻訳」する作業は続けていた。『論語』は一筋縄ではいかぬ本で、翻訳する人によってかなり違いバラバラだ。『論語』は孔子先生が主催している私塾での講義録を中心に、話した言葉を採録したもの。もしかしたら、孔子先生は書いた言葉で残したら、もともと大切にしていた「思い」を忘れてしまうかもしれないと危惧したのではないか。20年間続けて、すっかり孔子先生と仲良くなり、以降親しみを込めて「センセイ」と呼ぶことにした。最初は気難しかった「センセイ」は、だんだん心を開いて相談にも乗ってくれるようになった。遥か時を越えて。

1学而(がくじ)

12 『礼』というのはルールということ。この社会は『礼』という名の様々なルールで成り立っている。運用が難しく、法律みたいに厳密に文字化されたルールもあれば『暗黙のルール』というのもある。これが『和』で、みんなで歩み寄るということ。古の王様たちは『和』を重んじた。『和』ばかりでもダメできっちりした『礼』の出番があった。政治は厳密で原理的なルールの尊守と現実的な妥協の間をいつも揺れ動くもの。

2為政(いせい)

19 権力というものは物凄く怖いもの。例えが、法律に頼って何か悪いことをすると直ぐに罰しようとする。だから抜け道はないか考える。するとまた人々はまた抜け道を考え悪循環となる。まず根本に、だれでも納得できるような美しい理想を置いてみてはどうか。その『理想』を実行するためには強制とか法律で縛るのではなく、本来、人間一人一人が持っているはずの、美や正義を大切に思ったり、他人を大事にしようとする考え方、『徳』に訴える。政府がその様なやり方できたら、民衆はずる賢くやろうなんて恥ずかしくてできなくなる。

(これは、現在の政府に考えてもらいたい。全く、逆だと思うのは私だけだろうか。)

35 「どうしたら、国民に政府を信頼してもらえるだろうか。是非、教えを」「よくお聞きください。大切なことは、行政のトップにウソをつかない人を置くことです。そうすれば、黙っていても国民は政府を信頼するようになります。その逆に、ウソつきをトップに据えてご覧なさい。政府への信頼は地に落ちて誰も信用しなくなってしまいます。」

(えっ、2500年前ですよね。コウシセンセイ、現在の日本を見通していらっしゃたのでしょうか。)
56 何かをするということは、その中心になっている何かではなく「全体」が大切で、例えばスポーツでクラス分けしているものがある。争うことそのものに本質があるのではなく、与えられた条件で競うことに本質がある。結果ではなくそのものの中に成長させてくれるものがある。

58 『礼』の本質は形式にあるものではない。そこにいるその相手への深い気配りであり思いやりである。その相手も尊敬されるべき存在へ変わる。
59 君主が臣下に対してぞんざいに扱ってはいけない。君主から大切に扱われると嬉しいし、一生懸命仕える、これに尽きる。相手を思いやる気持ちが大切で身分の上下に関係ない。社会を成り立たせるには必要。それが『礼』。
里仁
68 『仁』というというモラルをしっかり持っている人は心が揺らぐことがないので、いつも平和な気持ちでいられる。『仁』とはなにかをいつも考え自分を一歩でも高めようと努力することが大切。
69 好むべき人を好きになり、嫌うべき人をきちんと嫌うというのはもの凄く難しい。正しく判断して決めなければならない。人の価値を判断することほど難しいことはない。
74 『真理』というのいうものはたどり着くことが困難。それほどにたどり着きたいと思わせるもの。
83 賢い人間がいたら是非付き合ってよいところを吸収しなさい。ばかな人間だったらじっくり観察してそうならないように気をつけなさい。どんな人間だってその人から学ぶことができる。

85 ご両親が存命中は、勝手に黙って遠くに行ってはいけない。それは、きちんとした『おとな』になってから。出かけるときには、きちんと行き先を言っておくこと。親になったらその気持ちがわかるはず。

87 ふつう「孝」というと、親に対して深い尊敬の念を抱くが、自然状態では難しい。親は早く離れていく存在。好きな人間なら理解しようとするが、親は「よく知っている」ことになっているので理解しようなどとは思わない。一番近い人間であるのに「理解不能」が当たり前になってしまう。親が分からないのに、人間が分かるはずがなく、人間が分からないのに、政治や社会のことを知ろうなんて。センセイが考えたのが、強制的に「親」を理解するためのツール、「孝」だったのではないか。

(親孝行とは全く微妙なものだ。ある年代になると親を人間としての価値判断で客観的に見てしまった自分がいた。)

90 君主の条件は、おしゃべりではないこと。もう一つ大切なのは、誰よりも先に『動く』こと。『君子』たるもの、ことが起きれば本能的に体が動いてしまうようでないといけない。この世界が発する微弱な電波をキャッチするアンテナを持っていないと。

(この辺りは更に熟読して貰きたい方々が世の中にはいるような。)

5公冶長(こうやちょう)

94 人間は関係の中で変化する。どんなに頑張って学んでも、一人では君主になれない。なれるとしても、それは『君主のような人』に過ぎない。一人別に『君主』がいて『切磋琢磨』する。二人は同時にお互いに鍛え合うことで、『君主』へと変化してった。

6雍也(ようや)

136 誰もが素直に生まれついていると思っている。でも、そのもともと持っている性質を無視してひねくれた暮らしをしていて、何も問題がないとしたら、それはそれで驚くこと。

138 一流の人間の価値が分かるには、それなりの人間でなければならない。一流の人間の価値のわからないも者は、それ以下。

139 『仁者』は、インテリより求められるものが多い。解決すべき問題に誰よりも早く取り組み、その上で解決したとして報酬を期待しない。

144 知識として言葉として、まず多くを学ばなければならない。その上で、何かをやってみる。実践や行動があって初めて『学ぶ』ということを知ることになる。

追記 2020.1.2

7述而(じゅつじ)

154 情熱のない人間は少しも進歩しない。なにごとにも途中に苦しみの時間がなければ、進歩することはない。受け身ではどうしようもない。何か一つ教わったら、あとは自分でその一つの近くを『掘って』みようとする意気込み。

171 社会の中に生きて、なにか自分のためではなく公共のためにしてみたいと考える人間に必要なものは四つ。『文』、考えをことばにしてみせること。『行』、考えたことを現実の世界の中で実行してみること。『忠』、なにかをするときには一人ではできず、その時、最も大切なことは、絶対に信頼できる誰か、その人のためなら全てをなげうってもいい誰かと出会うこと。『信』、出会った人々を裏切らないこと。文・行・忠・信、そのどれが欠けても真の『公』となることはできない。

(熱いひと言で、心を打たれる。永遠の課題として)

174 偉大な先人たちの書いたものを読み、素晴らしいと思う方たちの行動を真似してみる。ただそれだけ、真似る、つまり、『まねぶ』ということの中に、『学ぶ』ことの本質がある。

180 もはや人間を超えた存在と思える『聖人』にも、人間として最高の徳を備えた『仁者』にもとてもたどり着くことはできない。本当に大切なのは『聖人』や『仁者』、とか、『になる』ということではなく、『にひたむきに向かう』ということ。

182 いつも贅沢している人間は、態度も大きくなって傲慢になってしまう。

194 憎しみの感情に支配されないように。自立心が旺盛なのはいいことであるはずなのに、そういう人ほどいったん逆境に陥ると、例えば貧困の中に落ちると、そんな自分を認められなくて逆ギレしたりする。他人に対しても寛容になれなくて、横柄な態度をとられると激しい憎しみを抱くようになる。いや、私たちは、憎しみに抱かれるようになる。

9子罕(しかん)

209 「やってはいけない」ことを四つ決めていた。意地を張らない、こだわらない、頑なにならない、おれがおれがと自己主張しない。要するに、柔軟であれということ。

223 学ぶ、ということは、山を造ることに似ている。あと一輪車一台分の土で完成という直前でやめてしまったら、何もできなかったと同じ。学ぶ、ということは、地面のくぼみを埋めることにも似ている。さっきの一輪車の土をそのくぼみに放り込んで埋めると、あなたはそこを通って次の場所に進むことができる。一輪車一台分だけ。

233 本当の知識を持っている人間は、何があっても迷うことはない。『仁』が身についている人は、くよくよ心配したりしない。勇者は、何も恐れない。

11先進(せんしん)

268 徹底的にやりすぎても、中途半端でもダメで、『ちょうどいい』という頃合いがある。それが『中庸』ということだが、左と右を足して二で割る、という中間的なものではない。あらゆる物事の根本的な原理。

273 『真剣に議論する者は立派な人だ』という言葉があるが、『真剣に議論している』だけでは、その人が、ただおしゃべりが上手なのかはわからない。

279 『仁』とは、私心、すなわち個人的な想いや感情や欲望に打ち勝って普遍的な『礼』の精神で生きること。

12顔淵(がんえん)

282 『君子』はくよくよしたり、びくびくしたりしない人。日頃、深く自分の言動に思いをこらしているから。

298 『有名な』学者と『すごい』学者とは違う。『すごい』学者は思慮深くて、自己主張しない。『有名』であることにこだわると、『仁』と一番遠くなる。

300 『仁』とは簡単に言うと、『人を愛すること』。『知』とは『人を知ること』。本当に『仁』を持った人を見抜く力こそ『知』。

302 学問を通して、友人を作りなさい。その上で、その知り合った友人たちと切磋琢磨することで、人間性を磨きなさい。

追記 2020.1.8

13子路(しろ)

324人間というものは、心の中に『天秤』がなければならない。それは、『仁』や『孝』よりも大切なものかもしれない。言葉ではなく、物事の善悪を自分で自動的に調節して判断する装置。考えることによるものではなく、自分の中にあるはずのもっと根源的な『秤』。

325 『和して同ぜず』仲良くすることは大切だが、だからといってよく分かっていないのに、すぐに同意するのはどんなものか。

329 『剛』は、どんな事態になっても耐えられる『芯』を持っていること、『毅』は、どんな状況になっても対応できる強さがあること、『木』は、見かけが全然洗練されていなくて素朴であること、『とつ』は、無駄な言葉をしゃべらないこと。この四つの要素はどれも『仁』に通じるものがある。

15衛霊公(えいれいこう)

388 『仁』を身につけるには、自分を磨いてくれる立派な先生を見つけて教えてもらい、自分を磨いてくれるような、同じ志の仲間を見つけて切磋琢磨する。それしかない。

394学ぶときに一番大切なことは、疑うこと、真実を知りたいという熱い思い。

396 『思い』を訴えるとき、気を付けなければならないことは上から目線にならないこと。謙虚に言葉を選んで語りかけること。あなたの『正義』だけが正しいのではない。

400 プライドを持って生きてください。やることの多くは理解されないこともある。プライドは孤立を意味しない。安易に仲間になってはいけない。孤独の寂しさは、時に、過剰な信頼をもたらす。

405 ただ口当たりがいいだけの言葉を使い続けると、その人は内部から腐ってくる。

408 私たちは不完全な存在で絶えず間違える。間違えることによって、自分に何が足りないのかが分かる。自分の小さな自我のために間違いに気づかぬふりをする。真の過ちとはそれであり、気づいたら自分を真理に向けなおす。

16 季氏(きし)

421 国を治める者が心配しなければならないのは、人口の少ないことではなく、富や物質をみんなが平等に受け取っているかだ、貧しさを心配するのではなく、みんなが平和な気持ちでいられるかを心配するものだ。

(かなり長文が続き、これまでと表現が異なるように感じた。)

17 陽貨(ようか)

437 すごい天才はどんな環境においてもその能力を発揮できるし、反対に根っからのバカ者は、どこにいてもバカなまま。

20 堯日(ぎょうえつ)

497 人間は、生まれ、食の心配なく生活し、日々、様々な形で社会と交わり、そして、死んでいく。全ての人々の、そんな日々を、背後から無言で支えるのが政治。寛容であれば人々は従い、信用できると思えば何でも任せてもらえるし、何事かがあった時直ぐに対応すれば人々に喜ばれ、公平に接すれば不満など生まれない。

498 四つの悪しきこと。社会が責任を取らないとならないのに知らん振りをする、『虐』。普段は放任しているのに、いったんことあれば、文句を言う、『暴』。ゆっくりでいいと言っておきながら、いざとなると何故やっていないのかとなる、『賊』。どうしても払わなければならないとなると、出すときに渋る、『有司』。

499 天が命じる使命を知らなければ君子とは言えない。礼の本質を知らなければ真に独立した個人とは呼べない。ことばというものを理解しなければ、本当に人間を理解することはできない。ことばを理解すること、それこそが人間の究極の目標。

 

 

 

 

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