日記

「源ちゃんのゲンダイ国語(NHKラジオ第1 スッピン)」から「生きもの」の命について考え

早朝、目覚めてしまうと「ラジオ深夜便」で懐かしい昭和のメロディーを聞く日があり、その続きでそのままラジオ視聴になってしまう。最近は、日中、テレビを観るよりラジオを聴く方が多くなったかもしれない。因みに、ラジオ視聴であれこれと想像を巡らすことは認知症予防にもなるらしい。自分自身への自戒の念。

金曜日の「スッピン」は

金曜日の「スッピン」は、藤井彩子アナウンサーと高橋源一郎さんの掛け合いで進められていく。
その日は、「源ちゃんのゲンダイ国語」のコーナーに聞き入ってしまった。源一郎さんが書籍の紹介をしていくコーナで、主に過去物が多いが、その日は、珍しく現在のベストセラー物の紹介であった。あまり興味がなっかたのに、巧みな話術に釣られメモを取ってしまう。

稲垣栄洋著「生き物の死にざま」の中から

稲垣栄洋著「生き物の死にざま」の中から、源一郎さんが特に印象に残った生き物について語ったので、記してみた。
「チョウチンアンコウ」は深海魚で、メスは体長40㎝くらいだが、オスは4㎝。オスはメスの体に一生へばりついて生きる。目は見えないし、餌を取らずにメスの体から養分をいただくので、消化器官は退化している。ただ、子孫へ命をバトン渡しするために一生をそのメスに捧げる。「なんとかわいそうなオス。」源一郎さん曰く。

「タコ」(もしかしたら、聞き逃していてマダコとミズダコで違いがあったかもしれない。)
メスは10か月間、卵から離れずに、外敵に襲われないように守る。だから、その間、餌を全く取らない。動くことで卵が外敵に襲われるかもしれない。10か月後、孵化し我が子が卵から巣立っていく行くのを見届け、静かに果てていく。命の全てを卵(わが子)にそそぐ。
「涙を誘う。」と、源一郎さん。

「シロアリ」の女王蟻はただひたすら卵を生み続ける。巣の引越しをしなければならない時、判断するのはハタラキ蟻。その女王蟻が卵を生む能力が下がっていると判断するや否や、すでに育てていた若い女王蟻を連れて引っ越す。何と、年老いた女王蟻は置き去りにされるのだ。役目を終えた女王蟻は自分で動くことはできないから、そこで命が果てていくことになる。「何と残酷な。」と、源一郎さん。

「ニワトリ(ブロイラー)」は卵からかえるとすぐに窓がなく真っ暗な鶏舎に入れられる。1㎡に17羽、1つの鶏舎が数万羽のブロイラーで埋め尽くされ、ただ太ることだけを要求される。
40~50日後、遂に鶏舎から出られる時が来た。生まれて初めて太陽を見、動くことができたもの、大声を出したもの。モノクロ写真
でも、それはほんの一瞬の出来事で、これから出荷が待っている。
「何と悲しいブロイラーの一生。」と、源一郎さん。

「だから、人間は」と、この番組の中では深めていないが、其々の視聴者は心の中にずっしりと重しが掛かったのではないかと思う。
「生き物の本能」とは言え、人間のこと、人間の死にざまについて考えさせられる。

稲垣栄洋著「生き物の死にざま」には、この放送で紹介されていない他の多くの「生き物」についても載っているので、機会があったら読んでみたい。

追記 2019.10.31「ぼくらの民主主義なんだぜ」

書店で探してみたところ、やっと出会うことができた。『初出は朝日新聞「論壇時評」2011.4.28から2015.3.26まで月1回の連載を収録したもので、新書化にあたりタイトルを一部変更し加筆した。』と、注意書きされている。各著名図書からの引用も多い。題名の平易さに興味を持って購入したが、読み始めると内容はなかなか難解である。私は手のフィット感から単行本では小さすぎ新書版が馴染みやすいので多く購入してしまう。

新書版は、速くて2~3時間、遅くても一日で読み終えることが多い。しかし、今回は違っていた。なかなか進んでいかない。ネーミングの「ぼくらの民主主義なんだぜ」と、「すっぴん」での源一郎さんの語り口からは、予想外の文脈。引用文が多いためかもしれない。それだけ様々な情報を得、ご自分の確固たる考えを築いているからであるだろう。

だが、時間はかかるが読み進んで行くと、これまでとは違った自分なりの読み方であちこちに付箋を付けながら5日間かけてゴール。それだけ、ぐさりと刺さる文章が並んでいるのだ。2011.4.28から2015.3.26の連載というと、あの「3.11」後。戦後の日本、政治経済全ての繁栄と停滞が映し出されていた『あの「3.11」』。それらを、歯に衣着せぬ独特な語り口で「民主主義とは」と、訴えかけている。

追記 2019.11.6 11月1日は「教育の日」にちなみ、今日のお題は「勉強になりました」

今日は「お便り紹介」コーナーについて記してみる。先週の「1億3千万人のための論語教室」は反響が大きく書物はお陰様で売れているそうだ。私も直ぐに書店へ出向いたが、予約をしないと購入できず残念。日を改めて感想を書けるとよいのだが。

視聴者から「あのような先生がいるといいですね。」の感想に、源一郎さん曰く。今の先生にもいい先生がたくさんいると思うが、特に教科書を使わなくても直接伝えることが大事。それが正しく生きた教科書。答えは分かっていなくて、生徒の数だけ答えがある。そういう先生がいい。夏目漱石の「こころ」の先生、あの先生も主人公に与える言葉・生き方がいい。

次の視聴者から「勉強とは『強いられて勉める』と書くが、『自ら強いて勉める』と、解釈しよう。」という感想あり。私はこれまで、成程、勉強の漢字そのものを深く分析することはなかった。「やらされている」のではなく、「自ら勉める」。いくつからでも勉強をすることができる。生きていて生きた言葉を伝える。その先生が何を言ってどんな表情をしているのか。

例えば、医者は病名は同じ患者に対してもその患者によって薬の効き方が違うので処方箋が違うように、その人によって違う答えになる。違う答えになるということは、「その人を良く理解していなければならない。」ということではないかと私は解釈したのだが。小学校の先生なら、子供たち一人一人の家庭環境、現在の学力、意欲、友人関係等、それを鑑みて、今、何をどの様に。大変な職業なのだ。でも、そのように日々精進していると思う。生半可な職業ではないことは確か.

追記 2019.11.8「いい歯の日」、今日のお題は「ありがたいお言葉」

源ちゃんのゲンダイ国語では、高橋源一郎さんが心に止まった言葉や文章を読み解き魅力を浮き彫りにしていく。「いい歯の日」ということで自らのインプラント談で番組が開始し、今日は「お寺の掲示板」江田 智昭著(新潮社)。お寺の掲示板を利用して教えを伝導していく。お寺の門前に掲げられたグサッと心に刺さる標語の傑作をセレクトした本で「お前も死ぬぞ」「ノー先祖、ノーライフ」「ばれているぜ」などが掲載されている。江田 智昭さんは、浄土真宗本願寺派僧侶。人生のキャッチコピーは門前にあり。難しい仏教用語は一切なく、お坊さんたちが考え抜いた生き方や人間関係のヒントとなるメッセージが、ハッとしてグサッと刺さる言葉で記されている。

「お寺の掲示板」より

(「お寺名」は、ラジオ視聴のため漢字表記できないものや誤字がありましたら、ごめんなさい。) ○岐阜 願蓮寺 「お前も死ぬぞ」大賞受賞 ○京都 げんりゅう寺 「終活することとあなたの成仏とは無関係です。」エンディングノートに死後迷惑をかけたくないという旨を記す。しかし、死後迷惑をかけないというのは如何なものか。人間は迷惑をかける存在だと思って生きる。迷惑をかけない生き方はない。 ○京都 龍岸寺 「ノー先祖、ノーライフ」 ご先祖様があって、今の自分がある。物欲を忘れて仏欲を抱こう。 ○広島 超かく寺 「お墓参りはご先祖様とのオフ会と、思えば楽しい」 ○千葉 本妙寺 「のぞみはありませんが、ひかりがあります」新幹線の駅員さんが、「終電のぞみはないが、まだひかりはあります。」と、何気なくいった言葉だが、仏教的に解釈すると凄い。私たちの望みを失っていても、仏教の光はあります。 ○福岡 じょう覚寺 「仏教に圏外はない」どんなところにいても届く。 ○大阪 信光寺「仏教、はんぱないって」 ○大阪 正宣寺「カモンベイビー極楽、阿弥陀様のいるカントリー」カモンベイビーアメリカ?の節で

有名人の言葉から

○ 香川 一心寺「生きているだけで丸儲け」(明石家さんま) ○信州 バカボンのパパ「これでいいのだ」(赤塚不二夫)○「やっぱり近道はない。中道なんだよ。」「真剣にやれよ、仕事じゃない。」「仕事の場でやる気のあるものは去れ。」(タモリ)中道が一番で仏教の悟りそのもの。笑いを仕事にしている人は範囲が広い。何でも受け入れる懐の深さや許す心がある。これは、日本の宗教の懐の深さそのもの。仏教、はんぱないって。

私なりに上記から考えたこと。歴史的に捉えると、仏教は大陸から伝来し、日本では日本人に合うように広まっていった。それまであった他の宗教と折り合いをつけながら。八百万の神々と言われている通り、日本人は元々寛大な懐の深い国民性があるのではないか。アジアの東はじで島国の日本。かつて、様々な異国から伝わってきた文化・学問・技術諸々を独自化してしまう能力を備えていた。果して、今はどうか。折角培ってきたそれらをみすみす売り払ってはいないのか、あっと言う間に独自化してしまうのが上手な国に。そして、アメリカからの自由主義をはき違えてはいないのか。「懐の深さ」から少々脱線してしまった。

追記 2019.11.15 かまぼこの日・昆布の日(鍋の日)

オープニングテーマに乗って今日のゲストジャズピアニストで小説家、山下洋輔さんのお話で番組開始。生まれながらにして豊かな環境の下に、おじいさんからの本、音楽、芸術の中で育れ、その後の色々な人々との出会いがあり今の山下洋輔さんがある。いつも近くに感受性豊かな人との出会いがあり、気が付くと豊かな人間になっていた。生まれてくる環境は選べないが、自分でつくったり近づく努力が必要。そして、社会そのものが与えていくことが大切で、それは未来への社会全体の仕事である。

10年程前に地元で山下洋輔さんの生コンサートをお聞きしたことがある。ピアノ6連弾で「ラベルのボレロ」は圧巻だった。レベルは全く違うが、丁度、教員現職時代に学芸会の器楽合奏で「ラベルのボレロ」を指導した経験があり、好きな曲の一つになっている。飽くまでも比べようもなくレベルは違う、恥ずかしながら。

「疾走する俳句 白泉句集を読む」中村 裕著

(仮名遣いや漢字の使い方の間違いがありましたらごめんなさい。はっきりしないところには?もあります)戦中、渡辺白泉は新興俳句運動で季語のない俳句を作った。句集を出す以前に捕まってしまい句集を出していない。当時は主流派ではない俳人だった。昭和11年「日の丸の 旗を一枚 海へ投げられた」(弔いの句)、

昭和13年「柿と書籍 戦場 幻に青き」(柿色と青の対比が美しい。気持ちがブルー、この先どうなるのか憂鬱)、「銃後という 不思議な街を おかけになる?」(本質に向かっている。季語がない。ごまかされていないのか)、「赤く 青く 黄色く 黒く 戦死せり」(戦闘で絶命した様。どのように人間が殺されていくのか。この後、逮捕されていく。戦争で死んでいく兵隊の本当の様子を伝えるのを禁止されていた。)

昭和15年「包帯を 巻かれ巨大な 兵となる」(負傷して体中に包帯を巻かれた。戦争のリアルさを描くことは不都合だった。) 「戦争へ 手行き 足行き 胴行き」(比喩的だが、兵士は単なるコマに過ぎない。)「学生 海からバラバラに帰って来る」?、 昭和14年「憲兵の 前で滑って 転んじゃった」(可愛いが、体制に対して挑戦的でおちょくっているのか。)

「白泉」の代表する句から

「戦争が 廊下の奥に 立っていた」(物凄く怖い。暗い何かが立っている。連れて行こうとしている。戦争が、庶民のあらゆる家の奥に知らないうちに入り込んでいる。監視されている。)

昭和15年逮捕され作風が変わっていく。昭和18年「鳥かごの中に 鳥飛ぶ 青葉かな」(鳥かごの中でしか飛べない。戦争の中にいる自分、俳人たち、日本人たち) 昭和19年「海軍を 飛びおりて 死んだヒキガエル」、「夏の海 水兵一人 紛失す」(まるで、物扱いされている。)

昭和15年の治安維持法により、新しい句を作ろうとする人たちは赤や共産党呼ばわりされ、28名捕らえられた。戦争を進める国にとって不都合だったのではないか。天皇制を批判したわけではない。季語を使わない句は天皇制に反する行為だと理不尽な解釈をされた。逮捕は新聞報道されていないし、誰も知らない。「白泉」は「表現の自由」のもとにうたっただけだが、当時の政府の逆鱗に触れた。煙たい存在で表に出ることはなかった。「自由」は危険?

高橋源一郎さんの語り口は軽妙だが選ぶ書籍は深く重い。この番組の入り口がいつも重厚、そして終わり方は番組すれすれで時間切れ。特集番組を組んで欲しいと思う。

追記 2019.11.22 いい夫婦の日、回転寿司の日(回転寿司を発明した人の誕生日に因んで)

今日、11月22日は、「いい夫婦の日」。いい夫婦はオシドリ夫婦の様にと例えられているが、実際にオシドリは毎年相手を変えるとか。カラスは一生添い遂げるそうで、意外に思った。これからは、オシドリ夫婦ではなくカラス夫婦が理想の夫婦像かもしれない。(昨日の「武内陶子のごごらじ」より)。源一郎さんの今日の番組オープニングの語りは二人の息子さんから「ラジオで俺たちのことを言うなよ。」と、言われているエピソードから始まった。中2と中3の男の子二人の息子さんの父親の源一郎さん。14歳は自分が分かり自分の人生を決めてくる頃。長男は15の春で、高校受験が迫っている。自分がその年代の頃、親と話しても通じないと思っていたが、自分の子もそう考えているのかと、扱いにくい年ごろで持て余す。これを言うとカチンと来るだろうなという葛藤がある。子どもと真面目な話をするのは難しい。小さい頃の可愛いイメージがあるが、逆において一人の人間として見るようになる。自分の両親と同じ事をしているのかもしれない。

今日のテーマ さようならのことば  加藤典洋著「大きな字で書くこと」

加藤典洋 1948年、山形県生まれ 東京大学文学部仏学科卒 受賞歴:新潮学芸賞、伊藤整文学賞、桑原武夫文学賞 文芸評論家、講談社ノンフィクション賞・小林秀雄賞選考委員、早稲田大学名誉教授、主題 日本の戦後、現代文学 代表作「敗戦後論」(筑摩書房)高橋源一郎による書評、「アメリカの影」、「戦後的思考」等

源一郎さんにとって2・3才年上の加藤典洋さんは、明治学院大学の前任者で誘ってくれた大先輩。全共闘運動に源一郎さんも参加していて同世代。同じく80年代初頭にデビューした。昨年の秋に病気になり入院。今年の5月に亡くなってその直後に追悼文をを頼まれたが、書けなかった。3~4か月経ってやっと書くことができた。

この書籍「大きな字で書くこと」には彼が最後に書いた原稿が入っているエッセイ集で新聞や雑誌に連載されていた短編をまとめたもの。大学の公開セミナーにお呼びしていたが、体調を崩して入院され5月に亡くなった。加藤さんの最後の思い出深い本で今日発売される。加藤さんがどういう思いで最後の日々を過ごしたかがわかる。自分のことを振り返って最後に書いたのではないか。

今になって読んでみると、人生の終わりに向かって準備をし自分の死を予感していたのかもしれない。元々、詩や小説を書いていたが、加藤さんは向いていないと思って評論家になった。でも、憧れを感じていて詩や小説家の人だと思う。自分が出会った人の事を書いているのが多い。

『斎藤君』大学で初めて出会った友人の斎藤君。北海道出身で口数少なく長身、エキゾチックな風ぼう。斎藤君の自宅によばれた。「サルトル」の本が置いてあり、「小林秀雄」もあった。(1966年18歳)大学に姿を見せなくなり、数年後、着せ替え人形のような黒い背広を着てネクタイをしめ普通の会社に勤めているという斎藤君に会った。

今、どうしているのか、ご存命であると思うが、その後誰も逢っていない。ある時出会った人の面影が強烈であった。風のように揺れてふっと街へ消えて行った斎藤君を通して、書き方そのものが人生を振り返り自分自身を映している。斎藤君という人がいたんだ、そして、誰の中にもいる。

『ブロックさん』プルーストが専門のフランス語の先生。フランス語の授業は、受講生に自分の好きな物語を訳して語らせる内容だった。フランス留学から帰ってきた学生の一人が彼女に質問した。「日常会話もできないのにこういう授業は滑稽だ。作文からさせた方がよいのではないか。(文学をしないで会話をやれという意味)」、ブロックさん曰く。「では、言ってごらんなさい。あなたの親しい友人を亡くした時、こういう時どう表すかはフランス語にはない。手本のない言葉で気持ちを話すしかない。」、形式を覚えても気持ちは伝わらない。

ただ単に役に立つというだけの言葉はくせ者。友達が亡くなった時、何かを本当に言わなくてはならない時、お手本はない。形式では伝わらない、覚えられない、教えられない、自分で学ぶしかない、そういうところが大学。出来るならこの後もフランス語の近くにいたいと加藤さんは思った。

『もう一人の自分を持つこと』「思」は「田」と「心」に分かれる。「田」は頭蓋骨を上から見た脳の働き、「心」は心臓をかたどった心臓の働きで、「思」はその合体。(以下、省略)この二つが合体しキャッチボールをしている。優柔不断に思い悩む。自分の中に二人の感情を持つ。二人の人間を持つ。自分の中にもう一人の自分を飼う。違う感情で過ごす場を持つことは、良く生きることに繋がる。物書きの最後の仕事は書くこと。最後に何かを書き誰かに残す。僕は何を書くのでしょう。そして、何を残せるのでしょう。

追記 2019.11.25 「生き物の死にざま」 稲垣 栄洋著(草思社)より

稲垣 栄洋:1968年静岡県生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士。専門は雑草生態学。岡山大学大学院農学研究科終了。著書に「スイカのタネはなぜ散らばっているのか」「身近な雑草のゆかいな生き方」「身近な野菜のなるほど観察記」「徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか」他

図書館で借りようとしたら150数人待ちで、このまま更に待っていたら1年以上はかかるかもしれないので、書店でやっと購入した。番組の中で源一郎さんが語っていない印象深かった生き物について記してみる。

「セミ」一般にセミの幼虫は7年間土の中で過ごすと言われている。どうして何年間も成虫になることなく、土の中で過ごすのか。植物の導管から汁を吸っているが、根で吸った水に含まれる僅かな栄養分しかないので、成長するのに時間がかかる。地上で見られる成虫は、次の世代を残すのみの存在である。オスのセミは、大きな声で鳴いてメスを呼び寄せパートナーとなる。

繁殖行動を終えたセミにもはや生きる目的はなく、死を迎えるようにプログラムされている。セミは必ず上を向いて死を待つ。何を思い何を見ているのか。セミの目は背中側に付いているので空を見ているわけではない。幼少期を過ごした懐かしい地面を見ているのか。昆虫の目は小さな目の集まり、複眼である。

「ハサミムシ」尾の先に付いた大きなハサミが特徴的で昆虫の歴史の中では原始的な種類である。石をひっくり返すと慌てて逃げ惑うが、中には逃げずに大切な卵を守るためにじっとしていて威嚇してくるものがいる。このハサミムシは子育て中の卵の母親である。昆虫で子育てをする種類は極めて珍しい。多くの天敵に狙われる昆虫は卵を産みっぱなしにせざるを得ない。

ハサミムシの母親が卵を産む時には父親は既に行方が分からなくなっている。卵がかえるまで40日から80日かかり片時も離れることはない。遂に卵がかえっても孵化したばかりの小さな幼虫は獲物を獲ることはできない。甘えるように母親の体に集まってくるが、何と母親の体を食べ始める。母親は逃げるそぶりもなく子どもたちを慈しむように自ら体を差し出す。

残酷だが何かを食べないと子どもたちは飢えてしまう。その時、石をどけると、力を振り絞ってハサミを振り上げる。それがハサミムシの母親。子育てをすることは、子どもを守ることができる強い生き物に与えられた特権である。私は、ハサミムシの母親にジーンときてしまった。ハサミムシとは言え、お腹を痛め卵を生んだ母親の慈愛を感じる。

「カゲロウ」弱々しいというイメージがあり、「はかない命」の象徴で一日で死んでしまうと言われている成虫は、実際には数時間しか生きられない。しかし、成虫になると数時間しか生きられないが、幼虫の時代を何年も過ごす。目にする成虫は、死ぬ間際の一瞬の姿に過ぎない。カゲロウの幼虫は、川の中に棲んでいる。数年をかけ成長し、夏から秋にかけて羽化する。

ところが、「亜幼虫」という成虫の前段階のステージで、この姿で移動し、再び脱皮をして最終的に成虫となる。地球に初めて誕生した昆虫は翅がなかったと考えられるが,翅を発達させて飛んだ最初の昆虫であると推測され、3億年変わらぬ姿をしている生きた化石である。カゲロウにとって成虫は、子孫を残すためのものでしかない。

「ウミガメ」元々陸に棲んでいたと考えられるが、海での生活に適応して進化を遂げた。爬虫類なので、肺呼吸しているため、数時間に一度は海上に頭を出して息継ぎしなければならない。ところが、漁場に張り巡らされた魚網などに誤ってかかってしまうと、抜け出せず窒息してしまう。一生を海で過ごすが、メスは産卵のため生まれ故郷の砂浜に上陸し卵を産む。卵は海の中では呼吸できないからである。

しかし、今、この砂浜は海岸部の開発、埋め立て、河川の整備に寄ってやせ細ってしまった。暗い闇の中で産卵するので、街路灯や街灯りに煌々と照らされた砂浜では産卵できず、海に戻らざるを得ない場合もある。どうにか生まれた子ガメたちは、街灯りを月明かりに惑わされ反対方向に進んでしまう危険もある。海鳥や大型魚類の餌になることを免れ、世界の海を回遊しながら成長し、数十年を経て故郷の海へ戻って来る。大人になるまでのウミガメは危険に満ちた一生をおくっている。

「アリ」巣の中には数百匹、巨大になると数十億匹ものアリがいて、まるで巨大国家のような規模だ。1匹の女王アリと数匹のオスアリ、巣の大部分を占めるのがワーカーと呼ばれるメスの働きアリだ。これだけの集団を維持するために巣の外に餌を探しに出かける。アリが1回餌を取りに行く移動距離は往復で100mを超えるという。

アリにとっての100mは私たちの感覚で10㎞に相当するそうだ。アリ地獄(アリジゴクの巣)に落ちることもある。アリジゴクはウスバカゲロウの幼虫である。必死に這い上がろうとしてもついにはアリジゴクの餌食になってしまう。ウスバカゲロウは、数週間から1か月程度しか生きることができない。アリジゴクのの期間は1から3年続く。

「イヌ」元々野生のオオカミの仲間を飼いならしたものである。オオカミは群れを作って行動する。リーダーや順位が上の強いオオカミは、群れや家族を守るために極めて攻撃的である。しかし、順位の低いオオカミはリーダーに対して従順でおとなしい。そんなおとなしいオオカミが現在の飼い犬の祖先。食べ物も十分ではなく単独で狩りをする力にも乏しい。人間に近づき食べ残しをあさるようになったのではないか。人間とイヌとはパートナーとして共に暮らすようになった。

日本には子どもの数より、犬やネコの数が多いと言われている。子犬のうちはいいが、大きくなれば可愛らしさは失われていく。おもちゃのように飽きられて「動物愛護センター」へ譲渡される。愛護されるのは一部で安楽死させられるのが多い。日本だけで5万頭のイヌやネコが殺処分される、今置かれている実情だ。

「ニホンオオカミ」ニホンオオカミは江戸時代から明治の初めには、北海道を除く全国各地に生息していた。北海道には亜種のエゾオオカミがいた。現在、ニホンオオカミもエゾオオカミも絶滅してしまった。永遠にいなくなってしまった。二度と元には戻らない。オオカミの名は「大神」に由来しかつては神として崇められていた。かつて日本では、オオカミが人を襲うことは殆どなく、畑を荒らすシカやイノシシを退治してくれる役立つ動物だったにもかかわらず。

明治時代になり、文明開化と共にオオカミが悪者という西洋文明が日本に入り一変した。「赤ずきんちゃん」に代表されている。江戸時代中期、西洋との交流を通して長崎に狂犬病が流行するようになり、オオカミは駆除されるようになった。更に、ジステンパーも持ち込まれ次々に姿を消していった。かつてこの国の神であったオオカミは最後の1頭まで姿を消した。日本では、人間の都合で絶滅させてしまったのだ。

生き物はその「命のバトン」を繋げるために環境に順応しながら、それぞれ独特に進化を遂げてきた。しかし、その生物の頂点に立つ人間は、自ら環境を破壊したり自らの都合でその生存を危うくしてはいないのか。他の生物が危ういということは人間も危ういということになりはしないのか。

(2019.11.29から『源ちゃんのゲンダイ国語』は、「追記2 一億三千万人のための論語」へ追記させて頂きます。)

 

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