日記

札幌「小学生の不登校と学習支援」試みた経験を生かして

投稿日:2019年7月25日 更新日:

私は決して「すばらしい教師」だとか「私に任せて」などとは考えたことはなく、日々、試行錯誤を繰り返しながらその時の最良の方法はどれかを絶えず考え教師として行動していた。

38年間の教員生活の中でこれが不登校だという事例に直面したのは、定年まで5年を残し最後の赴任となった小学校でのことである。
1学年2クラスの12学級編成の小学校で1年生の担任となった。学年は私と20代後半の男性教師。
1学期の大きな行事運動会をクリアし終え夏休みを迎えた。25日間後2学期が始まり休みがちな子が出現。特に体の調子が悪いわけでもなさそう。家庭訪問をしたところ、母親はとにかく登校させたがっていたが、ここで思いっきり休むことを提案した。立場上、休ませたくはないがこの子にとってはその時の最良手段だと考えた。母親、担任の私、学校長とで話し合う場も設定し、これからの対策を練った。取り合えず思う存分家庭で母親に甘えさせた。もしかしたら、幼児期に十分母親に甘えられなかったのかもしれない。休んでいる間、度々家庭訪問をし家での様子を聞いたり一緒に遊んだりしてきた。遊ぶ様子から、私を嫌って不登校になったのではないと感じ取れた。

さあ、十分に母親に甘えられこれからの事柄を確認し、少しずつ学校に足を向けさせた。今日は玄関まで、明日は教室の入り口までというようにあせらずに。
その後、学校長にお願いし合同授業などの間、彼と学校探検したりお話したりと教室には入らないまでもいろいろ試みた。
決して無理強いしないことを私自身肝に銘じて。学習に関しては他の子より目が行き届くようにして。

ふと、気がつくと普通に教室で学習するようになっていた。友達関係もいつも通りである。のんびりゆっくりとが良かったのかもしれない。

その後も学校長、母親との面談は欠かせなかった。子どもは勿論、母親が不安に陥らないように。
学校長いわく、「一度不登校になると何かのきっかけで再び起こり得ることなので。」
その言葉に母親は心したようであった。その後、中学校でも体験したとか。
やさしい子なので、人一倍傷つきやすさを持っているのかもしれない。
不登校は、どこでも誰でもふとしたきっかけで起こり得るが、無理強いはいけないと思う。心にやさしさを一杯秘めているんだよね、そういう子って。

私の教職経験は決して誇れるものはなく、極普通の平凡な小学校教師だった。
けれども、もし学校へ行きたくないとか行けないお子さんがいたとしたら僅かながらのこの経験を生かしながらと、考えている。

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