日記

「知事公館」周辺をジョギング、苦手を克服しピンチをチャンスにしよう

投稿日:2019年4月11日 更新日:

朝の気温がプラスとなり午前5時頃には明るくなってきました。さあ、やっとジョギングができます。運動不足解消のため冬場はもっぱらウオーキングでしたが、今日からジョギング開始し近くの知事公館や近代美術館辺りを走ります。

知事公館の周りは信号機を気にすることもなく、その日の気分によって何周でも走ることができます。今日は同じようにジョギングしている人はいなくて、犬の散歩二人とペアでの散歩一組に出会っただけでした。

持久走や登山は大嫌いでしたが

私はもともと持久走や登山は大の大嫌いでした。小学生の時、運動会では凄く速くはなかったのですがたまたまいつも一等でした。高校生の体育で2キロメートル持久走の時には授業なので仕方なく走り死にそうな気分だったことを覚えています。

大学生の頃、同じ研究室の学生仲間で夏休みのキャンプ行事がありました。1年生の時、キャンプとアポイ岳登山でしたが、疲れるのは嫌なので麓で友人とおしゃべりをしながら待っている程、その頃は疲れることなぜするのかと、意味がよくわかりませんでした。

ジョギングを始めるようになったのは

教職につき3校目の小学校は、「文部省指定 体力つくり実践校」でした。とんでもない小学校に赴任したものだと思ったほどです。子どもたちそれぞれ個々の目標を持たせ、持久走やその他体力がつくと考えられる種目に朝や休み時間に取り組ませていきます。

勿論、私たち教師はただ見ているのではなく、一緒に取り組まなければなりません。当時、その小学校の教師集団は男女を問わず20代後半から30代、40代の若手中心でしたからこの集団の足手まといにならないようにが私のモットーでした。

その持久走ですが、一日目に子どもたちと走った後、何と嘔吐してしまいあえなくそのまま保健室で寝込んでしまう有様、我ながら情けないと深く反省してしまいました。子どもたちの走りが予想以上に速かったのです。こんなことではこれから教師をやっていけないと発奮し、以後それなりにがんばったつもりです。

その小学校から転勤後も走ることに違和感をもたなくなりました。持久力に自信がなかったのですが、ほんの少しなら走れると思えるようになったからです。その後、転勤する毎にこの小学校での持久走の体験が役立っていくことになりました。

40代後半の勤務校では、児童が下校した後に一月に一度くらい職員体育研修がありバトミントンが盛んでした。男女でダブルスのペアをつくり試合を行っていったです。ある日、下手な私とペアになってくれた男性教師はがっしりした体格の方でした。私の動きが悪いため左足を思いっきり踏まれ、みごとに捻挫してしまいました。

ふとしたことから登山を始めて

けれども、その後、痛いの堪え仕事を休むことなく足を引きずりながら出勤したという苦い経験があります。ちょうどその頃、我が家の子どもたちの手がかからなくなっていましたので、たまに休みがとれると夫の運転で登山に出かけていました。

「もう、山には行けないな。」の夫の一言に発奮し、リハビリとしてウオーキングを始め、ウオーキングからジョギングへと進み、私のジョギングが再開していったわけです。その後、洞爺湖マラソンやJALマラソンの一番距離の短い種目に10年近く続けて出ましたが、それ以上のフルマラソンまではとても走れませんでした。

ピンチをチャンスに

現在続いているのは、あくまでも健康増進が目的の軽いジョギングです。誰でもそうですが、「辛いことは大嫌い」です。しかし、それを克服できるチャンスが人生の中にはあります。ピンチをチャンスにしていくと少なからず今に生かさていくものです。

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