日記

「朝ドラ」はこの4月から100作目に

投稿日:2019年4月5日 更新日:

毎朝、朝食を取りながらNHKのBS3チャンネルで再放送される「朝ドラ」と現在放映されている「朝ドラ」を15分ずつ通して観るのが日課となっている。この4月からの「朝ドラ」は100作目で期待に胸が膨らむ。その中で主題曲や主題歌が話題になる年もあったし、これまで新人俳優の登竜門的な存在であった。

現職の頃にはたまにしか見ることが出来なかった「朝ドラ」だが、今ではゆっくりと観ることができる。

さて、最近の「朝ドラ」には感動させるのではなく、いわゆる多くの「良い人」たちが面白おかしく物語を展開し、演出にもお惚けや笑わせ場面が多いように感じられる。そう感じられるのは私だけなのだろうかと思いながら視聴している。
脚本家や演出家の考え方、そして時代の要請かと多分に思われるふしが無きにしも非ず。

この4月から、再放送される「朝ドラ」が「おしん」なのだ。仕事の関係できちんと見ていなかったので改めて観ている。
しっかりストーリーに沿って見入ってていると、毎回、けなげな子役の小林綾子さんの自然な演技に涙腺が緩んでしまう。周りの俳優さんたちの演技や台詞にわざとらしさがなく極自然なのだ。日常生活の中で嫁と姑、長年連れ添った夫と妻、母親と子どもたちの関係が普通に織り込まれているので、これだなと思いながら観ている。

わずか7歳の子が口減らしのために奉公に出される。実際には奉公といいながら米一表で身売りされるのである。
あの時代は一握りの人々を除いて大多数の農業に携わる人々、いわゆる小作人はあのように極貧だったのであろう。

時代背景が違うとはいえその貧しさは現代とは質が違う。あの時代と現代とを比較することそれ自体できないとは思う。
しかし、日常の食べ物そのものがなかったのだからその極貧さは想像を絶するものがある。
けれども、その貧しさの中にも家族の結びつきを垣間見ることはできる。

このところ、この日本では核家族化が進み格差社会とも言われ、物とお金そして心が貧しくなってきた人々が多くなってきたように感じる。人間関係の希薄さと貧しさ。そして、現代は児童虐待問題をはじめとして様々な事柄が問題化され山積されている。

さて、4月からの「朝ドラ」に話題を戻そう。
最近ここ数年の「朝ドラ」にはわざとらしく感じる演技があり、誇張が多く、不自然さを感じていた。舞台上の演技とテレビでの演技とは違うと思うのだが。そう思いながら、時計代わりに観ていたのかもしれない。
ところが、この4月から始まった100作目「なつぞら」には、毎朝涙腺を緩ませてしまう。

やはり主役の子なつの演技がよくて涙をさそう。少し台詞回しに優等生ぽさを感じはするが。
あの戦争で両親を亡くし兄と妹の三人で生きてきた、その3年生になる子の一生懸命さ、かいがいしさが愛おしくさえ感じられる。
もちろん脇役の大人たちの固め方も良いと思う。そして、何とあの小林綾子さんがなつの友人の男の子の母親役で出演しているのだ。時の流れを感じてしまう。

きっと、このドラマの主役はまもなく広瀬すずさんにバトンタッチされていくと思うが、全体的にこのまま誇張のない自然な演技でと、期待せずにはいられない。

まあ、無論広大な北海道十勝の物語ということも多分にあると思うが、物語がどのように展開されていくのか楽しみである。

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