日記

8年経った私の「3.11」、あの日

投稿日:2019年3月11日 更新日:

東日本大震災から8年目を迎えました。復興には甚だ遠く被災された地域が多くあるようです。まして、福島県の原発に近い地域では避難されたままの状態で住み慣れた土地に戻れない方々が多くいらっしゃるとか。

私は定年退職した後、非常勤で時間講師をしていました。年間で出勤数が定められており前月に翌月の勤務予定を入れますので、その11日金曜日は勤務無し日とさせて頂いておりました。

11日(金)から12日(土)は一泊二日でぜひ訪れてみたいと思っていた水戸偕楽園へのパックツアーを考えてえたからです。このパックツアー予定表には「梅」のシーズンを見据え10種類くらいの日程が組まれていましたが、私はなぜか3月11日出発日を選んだのです。

いつもならほとんどの旅に同伴しているはずの夫はなぜか留守に回り、友人も宮城県のお孫さん宅へ行く計画があり、結局私の一人旅となってしまいました。

あの日は暖かくてまさしく旅行日和で、今回の旅も我ながら「晴れ女」と自負していました。
新千歳空港で午前8時頃の飛行機に乗り込み、福島空港へは1時間半後に着いたと思います。

福島も快晴でした。地元出身の運転手さんとガイドさんのツアーバスに乗り込み、高速道路を南下しました。茨城県水戸市へは明日の日程で、1日目はまず栃木県日光市日光東照宮です。たっぷりと自由見学時間をとって下さいましたので、各自でゆっくり参拝し、その後、昼食をとりました。
お一人様の旅もいいものだと思いながら、集合時刻の午後2時にバスに乗車し、その日の宿泊地である成田へ向かいました。ガイドさんはとても多弁で楽しい方、バスの中は絶えず笑いに包まれていました。

午後2時46分、「お客さん、隣のバス、何か揺れてません?」と、ガイドさん。
「隣のバス、どうしたのでしょうね。」と、まるで他人事のようでした。
3月11日午後2時46分といえば、あの「東日本大震災」。ほとんど直下型だったのです。
何と、動いているバスに乗っていると地震で同時に揺れていて、その揺れをを全くといって良いほど感じずにいました。
ただ、片側二車線道路の隣を走行しているバスの揺れを異常に捕らえているだけだったのです。
改めて今思い出しても不思議な光景でした。「震度6強」真っ只中の世界にいたにも関わらず。

窓の外を見ると、橋桁が波打ち、電柱が大きく揺らいでいるのです。ただ事ではないと感じました。
「すぐ近くが震源地で凄い地震があったようですよ。」スマホでニュースをキャッチした方が教えてくださいました。でも、私はなぜかピンときませんでした。まさかと言う思いがあったのです。

でも、小学校では校庭に子どもたちが姿勢を低くしたままうずくまり、工場では工員さんたちが、皆外に避難しているのが見えます。ショーウインドーのガラスが割れて砕け、散乱しています。あちらこちらの家の瓦が落ちていますし、塀が倒れています。
そういう光景を目の当たりにし、その時やっと事の重大さがわかりました。

でも、バスはひたすら成田へ向かって走り続けていました。気がつくとあの多弁だったガイドさんの声がピタッと止まっていたのです。この災難の中、お客さんを何とか安全にという思いがあったからなのでしょうか。後でわかったのですが、地元出身の方でご家族を心配なさっていたのかもしれません。

夕方になり日没が近づいてきました。宿泊を予定していた水戸市のホテルはインフラがストップし宿泊できないとの事。どんどん日が沈んでいき、信号機が作動していない暗闇の中を運転手さんが懸命にバスを走らせ、ガイドさんは本社と連絡を取り宿泊先を交渉していました。海岸近くで起きている津波の被害などは全く情報として入ってきませんでした。

真っ暗闇の中、運転手さんがコンビ二を見つけバスを停車してくれました。ほとんど品物がない中取りあえず夫々お腹の足しになるものを買いました。停電のためレジは使えずソロバンで計算していました。

途中、トイレではみんなでケータイをかざして足元を照らしながら用をたしました。私の子どもたちとは勿論電話は繋がらずにかろうじてメールが一度繋がり無事を知らせることができましたが、ケータイから固定電話へは繋がりませんでした。
夫はどうしているのだろう。

夜中の11時から12時頃ガイドさんの計らいで成田のホテルに宿泊できましたが、余震が頻繁におこり一睡もできませんでした。
ホテルのテレビで事の重大さがわかりました。そのホテルのロビーには部屋の取れない宿泊客で溢れていましたが、断るのではなくお客さんを招きいれた非常時のホテルのとった処置の寛大さに敬服します。

翌日は、取りあえず成田山を参拝した後はひたすら福島空港へ向かってバスは走り続けました。ツアーの予定は昨日から大きく変更しましたが、誰一人不服無し。もちろん、このツアーの目的である水戸偕楽園は無し。
幹線道路はほとんど不通でしたがさすが地元の運転手さんです、狭い農道をひた走ること7〜8時間。

福島空港に着いた時にはツアー客全員で大きな拍手と感謝の言葉を運転手さんとガイドさんに送りました。幸い福島空港は山際にあり津波からは逃れることができたのだそうです。

この震災で被災された大勢の方々のことを思うに運が良かったというのもはばかれる私です。
それで、今までこの体験の多くを語ってはきませんでしたが、北海道胆振東部地震があり災害の多い日本に住んでいることを再確認し他人事ではないと常日頃から心して生きていかねばならないと考えた次第です。

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